僕は君のことを愛しているかもしれません。
君は僕のことを愛していないかもしれません。
彼はあなたのことを愛しているかもしれません。
彼女は僕のことを愛しているかもしれません。
あのおばさんはあのおじさんのことを愛しているかもしれません。
でも、どちらでもいいとも思っています。
ただ、もしあのおじさんとおばさんが喧嘩をしだしたら、
僕は止めるかもしれません。
僕はおばさんを愛しています。
愛しているよ。
おばさん。
おばさんが、僕を見てこう言った。
私もよ。
おじさん。
僕は君のことを愛しているかもしれません。
君は僕のことを愛していないかもしれません。
彼はあなたのことを愛しているかもしれません。
彼女は僕のことを愛しているかもしれません。
あのおばさんはあのおじさんのことを愛しているかもしれません。
でも、どちらでもいいとも思っています。
ただ、もしあのおじさんとおばさんが喧嘩をしだしたら、
僕は止めるかもしれません。
僕はおばさんを愛しています。
愛しているよ。
おばさん。
おばさんが、僕を見てこう言った。
私もよ。
おじさん。
どれにしよう。
うーん、、じゃあ3番!
どきどき。
下にいって、右、右、左、、
お、また左、
で、右、左、右、、右、、
・・・ハズレ。
くそ、、もう1回・・・
「待ちなさい」
へ・・・?
「もう1回なんて、あみだくじにはないんだよ」
誰?おじさん。
「人生とあみだくじには、もう1回はないんだ。たった1度きりなんだよ」
僕はおじさんを殴り、あみだくじをやり直した。
またハズレだ。
しかしあみだくじをやり直すという罪を犯してしまったため、死刑になった。
今度は、人生をやり直した。
二度目の人生は最高だった。
おじさんはうそつきだ。
この世の全てのおじさんはうそつきだ!
僕は歳を重ね、おじさんになった。
変な小僧があみだくじをやり直そうとしている。
「おい、小僧。人生とあみだくじにもう1回はないんだ。たった1度きりなんだよ」
小僧は私を殴った。
小僧は小さい頃の私だった。
頭がこんがらがってきた。
人生はあみだくじのようだ。
かんかん照りの日差しの中、みんなでテニスをしている。
ふ~、そろそろ休憩にしよっか。
いっぱいいっぱい汗をかいた。
僕はグビグビと水を飲んだ。
ぷはー、うめーーー。
ふと横を見ると、橋本が缶のアクエリアスをグビグビと飲んでいる。
ぷはーーーー。
橋本がすごくうまそうな表情をしている。
僕は思わず橋本をじっと見てしまっていた。
橋本がぞれに気づいた。
が、橋本は即座に気づかないふりをし、
少し向こうを向いて、もう一口、アクエリアスを飲んだ。
今度は、ぷはーをしなかった。
僕はどうしてもたまらなくなってしまい、橋本に近づいていった。
「なあ、俺の水とそれ、交換しないか」
ダメ元だった。
しかし意外な返事が返ってきた。
「ああ、いいよ。うめえぞ」
僕は水をすぐに差し出し、アクエリアスを受け取り、すぐに口に運んだ。
違う。レベルが違う。
ふと横を見ると、野口が僕をじっと見ているのに気がついてしまった。
ふう。
僕は野口の元に近づいていき、こう言った。
「交換するか?このアクエリアスと」
野口はバッとアクエリアスを奪い、こう言った。
「うるせえ。人間どもが」
野口は、アクエリアス人だったのだ。
僕は逃げた。
すると橋本が両手を広げて待ち構えていた。
なんと、橋本もアクエリアス人だったのだ。
僕は観念し、アクエリアス人となった。
現在、人口の7割は、アクエリアス人だ。
残り3割のポカリ人と、今日も抗争を重ねている。
今日、妹が死んだ。
一年が経った。
東京に戻り、気付かぬうちに二年を超えていた。
「2015年。
まず、いっぱい考える。
来年はとことん考える。
考える事で、一年を長くする。
考え、そして行動に出る。
来年中に一つ大きく動く。」
と、一年前の自分が言っていた。
考えようとはした。
考えてもみた。
でも、答えが1つも出ない。
一年は圧倒的に早く、考えようにも頭が動かない。
これが東京。
一体、自分はどこに向かうのか。
未だに一人。同志は現れず。
何だかずっと怯えている気がする。
藤野で暮らしていた頃、怖いものなんて何もなかった。
寒さ、闇、貧困、孤独、害虫。
怖くともそれを楽しめる心の余裕があった。
今は、何も楽しめていない。
心に余裕がない。
ほんのちょっとしたことにさえ、怯えて足がすくんでしまう。
どうしたら東京で自由な心で生きていけるんだろうか。
東京に戻ってきてから一度も頭を使っていない気がする。
いや、頭は使っているが、あっち側の、自分が本来使うべき頭は一度も使えていない。あっち側の頭は封印され、まとも側の頭が必死に無理矢理使われている。
これでは東京に来た意味がない。
もはや来た意味も分からなくはなってきている。
でも来たからには来た意味を作らなければならない。
でないと、この2年が無駄になってしまう。
32歳。
なかなかな年齢になってきた。
皆、まともに働いている。
大体の人は結婚した。
自分は未だに、恋愛にすら遠ざかっている。
いや違った。
2015年、一瞬危なかった。
一瞬、心が動いてしまったのだ。
動いた心はやはり自分をおかしくさせた。
危ない。
恋なんてしている場合じゃない。
しかし最近、恋愛映画ばかり観ている。
台湾の。
何年前からだろうか。
台湾がずっと心の奥で気になっている。
台湾の人間が好きだ。
関わったことはないし、行ったこともないが、
何故かずっと心が意識している。
人間は顔に出る。
台湾の人間も顔に出ている。
台湾人はいい人間だ。
台湾映画を観ているうちに、台湾への想いが日増しに強くなってきている。
根拠はない。顔だけだ。
そんな中、先週、台湾華語を習いに行った。
勉強&交流会。
初めて台湾人と話した。
やはりいい人間だった。
特別どうということはなかったのだが、台湾人と向こうの言葉で会話がしたい欲が出てきた。あと台湾料理が口に合った。
これから毎週参加する予定。
「2015年。
まず、いっぱい考える。
来年はとことん考える。
考える事で、一年を長くする。
考え、そして行動に出る。
来年中に一つ大きく動く。」
大きくではないが、
この最後の一行が、2015年ギリギリで達成された。
これが何に繋がっていくのか、何の為に覚えるのか、何故台湾なのか。
今は分からないが、きっと大きな意味が生まれてくる気がする。
いつか台湾に住むのかしら。
2015年も全国いろいろと行った。
新しい場所はなく、仙台つくば宇都宮横浜大阪岡山鹿児島沖縄を
行ったり来たりしていた。
もう何回どこに行ったかすら覚えていない。
何度も考え文章にも残そうとはしたが、どうにも頭も手も動かない。
動かすほどのことがなかったのかもしれない。
来年は少なくとも3回は書きたい。
書くだけのことをしていかなければならない。
それだけのことを起こさなければならない。
人には期待せず、自分で動くしかない。
どう動くか。
どう動きたいのか。
まずはそこから。
今は何もない。
みんな、元気かしら。
みんなって誰だろう。
私は元気ではないですが、これを書いているうちにだんだん元気になってきました。
元気は大事なのかもしれない。
暗い顔をしている人間の元には何も集まってこない。
元気を出そう。
勇気を出そう。
力を出そう。
感情を出そう。
東京に吸い取られないように、必死に。
そしてちゃんとお金を貯めよう。
給料が上がった。
ちゃんと働き、ちゃんとお金を貯め、ちゃんと生きよう。
ものすごいまともなことを言っている。
でも今はまずはここなんだと思う。
まともに生きれるようになって、ようやく逸れることができる。
今は、まとも以下。
東京でまともに生きるということがどんなに大変なことか
この2年で思い知らされた。
東京は全てを吸い取る。
感情もやる気も勇気も元気もお金も。
どうすれば吸い取られないか。
この答えはまだ出ていない。
今思いつく方法としては、「逃げる」くらいだ。
しかし、一度逃げ戻ってきたからには、そう簡単に逃げ出す訳にはいかない。
このまま負け続けは悔しい。
一度は東京にギャフンと言わせなければならない。
東京は強い。
日本最強だ。
ここで一生、生きていくつもりはサラサラないが、
一生東京に引け目を感じて生きていきたくもない。
あ、仲良くなるという方法もあるのか。
ただ、一度別れた二人は、そう簡単にはやり直せない。
彼女は1300万股しているし、僕は他国の女と距離を縮めようとしている。
でも向き合わなければ。
ここで生きている以上、彼女のことを無視はできない。
しっかり向き合って、話し合ってから、結論を出そう。
2016年は、勇気とマトモと台湾と貯金と感情。
5つのうち3つくらいは達成できたらよいな。
いや、欲張ろう。
10こだ。
振り返りたくないけど振り返る。
名古屋岡山鹿児島大宮つくば岡山鹿児島つくばつくば横浜横浜つくば博多宇都宮
宇都宮鹿児島大阪鹿児島大阪横浜横浜横浜名古屋大阪横浜仙台札幌横浜横浜横浜
いくつか抜けてるかもだが、大体こんな感じ。
恐らく3分の1か4分の1くらいは東京にいなかったように思う。
2014年が始まって少し経ち、これからの怒濤が目に見えたとき、
今年は考えるのをやめようと決めた。
自分のことは考えずこのでかい波に飲まれ流され流れてみたとき、
自分は何を想うのか、何かを感じ、何かが分かるのか知りたかった。
少し立ち止まり自分のことを考えそうになっても、
無理矢理押さえ込み、ひたすら考えないを続けた。
そして、2014年が終わる。
今年は本当に考えなかった。
考えろと答えを迫られても、考えなかった。
何のこだわりかは分からない。
でも考えないことできっと何かが見える気がしていて、その考えないが終わる今日、
考えなかったことで何が見えているか考えてみるが、
何も考えてこなかったため、今、何もない。
唯一分かったことといえば、
考えずに生きていくのはよくない。自分には向いてない。
ということだろうか。
この一年、日本のいろんなところに行き、たくさんの人間と触れ合い、
多くのことをしたはずだが、
何も考えていなかったから、ほぼ何も残っていない。
日に日に記憶力がなくなっていく。
これはこの現代社会のせいで全ての人間の記憶力がなくなっているかと思っていたが、どうやら違うらしい。
自分だけらしい。
昨日、一昨日のことはもちろん、もはや数分前のことすら覚えていなくなっている。
何かをしようと動くが、すぐに何をしに動いたか忘れる。
持っていたものをいったんどこかに置き別のことをしようものならば、
そこから1人で大探索が始まる。
誰かとした会話、誰かと触れ合ったこと、誰かにしてもらったこと、誰かとしたこと、こんなにもかというくらい覚えていない。
数年後が本当に恐ろしい。
どうなってしまうんだろう。
原因は何だろう。
過去に興味がなさ過ぎるのか。
今を生き過ぎているのか。
周りが見えていないのか。
単純にものすごい早さで老いているのか。
分からないけれど、
とにかく数年後の自分には記憶というものがほとんどないんだろうなと思う。
少し寂しい。
もしかしたら他の人間とずれてしまっているところは、ここなのかもしれない。
例えば、今の自分は「楽しい」ということにほとんど興味がない。
でも一般的に人は、楽しさを求める。
それは、「楽しい」を覚えていられるからなのかもしれない。
僕は楽しいことがあっても、その楽しさなんて一瞬ですぐ忘れてしまうからという理由で、「楽しさ」を求めなくなった。
人はその「楽しさ」をずっと覚えていられるんじゃないだろうか。
それならばすごい納得がいく。
僕は次の日には忘れてしまう。
この違いなのかもしれない。
ということは、
もし自分にもっと記憶力があれば、もっと楽に、普通に、楽しく生きてこれたのかもしれない。
よかった、記憶力がなくて。
楽で、普通で、楽しく生きてこれなくて。
さて、もっと普通に生きていけなくなるにはどうしたらよいだろうか。
2015年。
まず、いっぱい考える。
来年はとことん考える。
考える事で、一年を長くする。
考え、そして行動に出る。
来年中に一つ大きく動く。
今年、全国各地に仕事で行き、
というかもう気付けば完全に「仕事」になっていた。
研修をし、物件を捜し、人を集め、人と知り合い、店を作り、OPEN準備をし、
宣伝し、OPENさせ、新たな店をつくり、中身を話し合い、中身を考え、準備をし、
作り、研修し、OPENし、それを全国各地で繰り返し、2014年は終わった。
5店舗ぐらいだったお店が、全国で17店舗に増えた。
まだ、全くもって社会は変わらない。
もし47店舗になれば、社会は少しは変わるのだろうか。
とにかく各地をまわり、いろんな土地を知った。
しかし、自分にしっくりくる土地は一つもなかった。
藤野に初めて訪れたときのあの感じは一つもなかった。
最近また、どこかに行きたくなる。
全く違う環境で、全く違う場所で生きていきたい気持ちにふとなる。
多分いつか僕は海外に住むんだと思う。
まずは日本を全部知り、自分にしっくりくる土地があればそこに、
一つもなく日本じゃないと分かれば見切りをつけ海外に。
今はその下準備期間。
なんかそんな気がしている。
2014年。
彼との距離は近づいた。
この会社を訪れほぼ一年が経つ日、
僕は早朝の福岡の土地で、変な空気の中、彼と二人で山笠を見ていた。
それから何度か、共通のことを共通の場で考えた。
でもまだ多人数。
二人でなければ意味がない。
そして同等でなければ意味がない。
0からの始まりでなければ意味がない。
まだ彼1と多数の図式。
ある程度決まったものを詰めていく作業。
ここまでくるのも一年かかるのか。
もう少し近いと思っていたがなかなかに遠い。
今年も駆け抜けた。
この会社に来てからはずっと駆け抜けている。
他の仕事に比べたら、割と仕事とはかけ離れているはずだけど、
それでも自分にとってはやはり仕事で、
もっと仕事じゃなく仕事をしたいなと思ったりもする。
と、立ち止まって考えてみると、
いろいろと考えられる。
来年への予行練習。
考えるのは疲れるけど、疲れない人生で楽して死にたくないので、
考えることから逃げない。
疲れることから逃げない。
面倒くさいは、人類最大の敵なのだ。
ものすごい疲れて、大爆笑しながら大の字で死ぬのだ。
もしくは全てをやり切ってガッツポーズでもしながら、宇宙に飛び込んで死ぬのだ。
でももし、
やりたいことを作りたいものだけを同じ志の人間と笑い転げながら作り生み出し続け、社会がざわめきどよめきガラッと変わり自分にとって生きやすい社会になったら、
考えなくても、記憶力がなくても、疲れなくても、楽しくても、
いい気持ちで生きられるようになるのかなあ。
気付けば
2013年12月31日。
9月に藤野から渋谷、田舎から都会に引っ越してからの4ヶ月は、
人生で最も早い4か月だった。
まさに駆け抜けた。
日々を振り返る余裕もなく、
何かを作るでもなく、
いろいろなことを考える余裕もなく、
真っ直ぐと目の前にある道を駆け抜けていった。
時間はたっぷりあった。
心にも余裕があったし、
金銭的にも、以前に比べたらほんの少しだけど落ち着いた。
それでもこの都会という場所は、
ものすごいスピードで一日を終わらせる。
この4ヶ月は、このスピードについていくので精一杯だった。
しかし、日々をただ単にこなしていった訳ではない。
この4ヶ月は、社会と自分を擦り合わせるのに必要な時間。
SCRAPという会社を知る時間、吸収する時間、自分に浸透させる時間、
自分を浸透させる時間として、必要不可欠な時間。
だいぶ社会にも慣れてきた。
社会といっても、7月からこの会社でボランティアスタッフを始め、
11月から30歳にして正式にアルバイトとなり、
というかこの会社は社会という輪の中でも、ものすごい端っこの、
社会だか社会じゃないか微妙だけどギリギリで社会の輪の中に入れてもらえたような
何だかそんな空気のあるところなので、ここを社会と言っていいのか分からないし、
そもそもアルバイトだし、といったところもあるのだが、
それでも社会的には完全に社会な場所であるので、
ようやく、社会に一歩足を踏み入れたというようなところまでは戻ってきた。
でも、自分の中では戻ってきたという感覚はなく、
新たな社会に足を踏み入れた気持ちの方が強く、
30歳ながら20歳のような心の状態で日々を生きている。
そして来年から、また少し状況が変わろうとしている。
10月の終わり、
この会社のとある人物から「アルバイトにならないか」と誘いを受けたとき、
僕は返事に迷った。
埋もれたくなかったから。
もちろんこの仕事は単純に楽しいし、アルバイトになればちゃんとした時給で給料を貰えるし、そのぶん力仕事も減らせて、いい事もたくさんあるのだが、
一度アルバイトになってしまったら、このままずっとアルバイトのままなんじゃないかという不安がよぎり、それだったら自由に動けるボランティアスタッフのまま切り込んでいくスタンスの方が日々戦っていけるんじゃないかという気持ちもあり、
その旨をそのまま伝え、返事を少し待ってもらおうとしたところ、
新たな道を提示された。
理由を聞いても、
「暇そうだから」「フラフラしてるから」「雰囲気」としか返ってこなかったが、
それでも最後に聞いた「誰でも誘うわけではない」という言葉で、大体を理解した。
そもそもこの日まで、この方とほとんど会話をしたこともなかったけれど、
多分、初めて会ったあの瞬間、ろくに会話もせずふざけたやり取りだけで終わった
あの瞬間に、大体の事は分かり合えていたような気がする。
人生で数回しかないけれど、僕は会った瞬間に、
「この人とはすごい仲良くなれる」「長い付き合いになる」と分かることがあって、
この会社に関わるようになってからのたった半年で、それが2回もあった。
その2回が、両方ともこの会社の人間だったことは
自分の中で全く驚きはなく、
やっぱり間違ってなかったんだと、
自分の選んだ道の正しさへの再確認となった。
そして来年、これの3回目があると、信じて疑っていない自分がいる。
この会社で、まだ会ってない人間が一人いる。
実際、顔は何度か合わせているが、自分の中ではまだ会っていない。
というか、会わないようにしている。
自分でもよく分からないが、その3回目を意識し過ぎてか、
今じゃない今じゃないと、ここぞというタイミングを見計らい過ぎて、
意識的に、半分無意識に、避けてしまっているのだ。
でも意識するのは当然で、
この人がいなければ、今の自分はここにいない。
この人がいるから、ここにきた。
この人と共に作り、共に戦うために、自分は動き出したのだ。
一度、社会に見切りをつけた自分にとっての、最後の希望。
意識して当然。
そして3回目になって当然。
そう信じ切ってしまっているのだ。
さて、
この半年戦えなかった分は、来年戦う。
早くステージに上がりたい。
早く作りたい。
早く吐き出したい。
早く生み出したい。
作らなければ、生み出さなければ、戦わなければ、
ここに来た意味はない。
とんでもない2014年になりますように。
自分以外は平和でいいけど、自分には平和は訪れませんように。
たくさん戦えますように。
落ち着きませんように。
たくさん笑えますように。
お、たくさん笑えますように
という言葉が出てきた。
楽しさとも戦えてるということだ。
少し大人に。
少し人間に戻れた。
2013年。
さらば!
今から15年前。
高校に入学したての5月。
学校のすぐ側に、ある女子校があった。
その女子校とは最寄り駅が同じで、
毎日、そこの女子生徒たちと顔を合わせていた。
とある日の学校帰り、僕はできたばかりの友人たちと原宿を練り歩いていた。
すると、見慣れた制服の女子たちが目に入る。
「あー、○○校じゃん。いえーい。どうもどうも。」
そんな風にふざけて声をかけながら、僕らはその女子たちとすれ違う。
その日、友人たちと何をしたかは覚えていないが、
というか当時は特に目的もないまま
街へ繰り出してはダラダラと日々を過ごしていたので、
その日も恐らく特に何もしないまま夜になり、
僕らは駅のホームへと向かっていった。
そこに、さっきすれ違った女子たちのうちの一人が、
ポツンと立っているのを見つける。
確か、僕らは7人ぐらいだっただろうか。
男は、自分たちが多勢だと、調子に乗る。
みるみるうちにその女子を囲み込み、多方向から攻め立てる。
聴くところによると、その子は、僕らより一つ年上だった。
僕のその子への第一印象は、
「かわいい」でも「きれい」でも「ときめいた」でも何でもなく、
「すげえなこいつ」、だった。
電車内で7人の男に囲まれながらも、全く物怖じせず、
「何だよおめーら、うるせえなぁ」的な感じで鼻で笑いながら、
僕らを子供扱いするかのように対処していくその姿は今でも忘れられない。
僕は、たった一瞬でこの人間にものすごい興味を持ち、
気付くと僕らは、あっという間に付き合うことになっていた。
そしてあっという間に一ヶ月で別れを告げられ、
僕らはあっという間に恋人ではなくなった。
それから15年。
僕らは仲良しという訳ではないが、ごくたまに連絡を取り合ったり、
ごくごくたまに会ったりもしながら、何だかんだで15年関係を続けている。
もしもあの日、僕らの帰る時間が3分遅かったら
原宿であの道を通らなかったら
駅のホームに逆の階段から上っていたら
人と人との出会いなんてほとんどが偶然だけれど、
それでもその「もし」があったら、その「もし」がなかったら、
この15年は、0だった。
とかそんなことを思い返しながら、
逗子に住む、15年前の彼女の写真を撮りにいってきた。
彼女はいつまで経っても年上で、
いつまで経っても追いつけない。
あれから15年。
僕は、彼女のことを一度たりとも追い越したことはない。
他の人にはいつか追いつける気もするけど、
彼女にだけは一生追いつけない。
ずっと前にいて、ずっと上。
でも、お互い30を超え、久々に会って話をしてみたら、
何だかちょっとだけ同じようなことを考えていたりして、
少し嬉しかった。
http://takizawa-yu.weblike.jp/contents/?p=4425
2013/9/29 :撮影
あゆみが30歳になった。
もう5年は会っていない。
今、彼女が何をしているのか、
どこにいるのか、
そして誰といるのか、
僕は何も知らない。
8年ほど前に別れ、
そこから会ったのはたった一度。
結婚をしてるかもしれないし、
子供もいるかもしれないし、
独身かもしれないし、
日本にいないかもしれない。
誰よりも知っていた人を、
今は誰よりも知らない。
別れてから、何度も後悔したし、
人生で一番苦しんだし、
半分引きこもりみたいになったし、
ずっとずっと忘れられなかった。
たった一度だけ連絡がきたとき、
僕は涙を流した。
それから5年、僕は一度も泣いていない。
そして僕は今、恋愛を卒業した。
自分は恋愛には向いていない。
誰も幸せにできる自信がない。
付き合うということには意味がない。
自分以外の人のことを考える余裕がない。
恋愛は疲れる。苦しい。難しい。面倒くさい。
全ての面において、恋愛をする余裕が全くない。
恋愛よりも大事なことがある。
あゆみよりも愛することのできる人はもういない。
そんな考えに至るようになり、
「この子、いいかも」と思ってしまうことがあっても、
無理矢理自分を押さえ込むようになった。
最近になり、ようやく彼女のことも考えないようになった。
でも、誕生日だったり、ふとしたときに思い出してしまう。
今、何をしてるんだろう。
何を思っているんだろう。
多分、彼女の中に、僕はもういない。
でも僕の中の彼女は、いつまで経っても消えない。
いや、消す必要もない。
そもそも別れって何だ。
付き合うから、別れがある。
ならば付き合わなければいい。
僕は彼女と付き合わなければ良かったのか?
そうすれば、今でも彼女との関係は続いていたのだろうか。
人間は、付き合い、別れを繰り返す。
一番近くにいた人が、一番遠い人になる。
一番知っていた人が、一番知らない人になる。
一番好きだった人を、一番嫌いになったりもする。
付き合うな。
付き合うとは、負のループだ。
人を愛しすぎるな。
愛した分だけ、苦しみがでかくなる。
現状、こんな考えに至ってしまっている。
果たしてこの考えは正しいのだろうか。
何だか書いてて、自分が可哀想な人間に思えてきたりもする。
結婚した皆さん、おめでとう。
結婚できるほどの相手と巡り会えたことは、本当に素晴らしいと思います。
あゆみも、もし結婚しているならおめでとう。
でももしかして、本当にその事実を知ったとき、
僕は久しぶりに涙を流すかもしれません。
何の涙かは、分からないけど。
そんなことより30歳おめでとう。
今、僕が知っている事実は、
昨日、あゆみが誕生日を迎えたことだけです。
俺は元気です。
元気に生きてます。
お引っ越しから一週間が経とうとしている。
恐ろしく早い。
通勤時間が超短縮でき時間が増えたはずなのに、
以前よりも時の経過が早く感じる。
これが都会のスピードか。
このスピードに飲まれたら負けだ。
また過去の自分に戻ってしまう。
しかし都会に生きる以上、時は無視できない。
このスピードについていこうとすると置いていかれる。
ならばこのスピードを追い抜けばいい。
ダラダラしている暇はない。
ダラダラする気もない。
駆け抜けるのだ。
目をつぶってではなく、目を見開いて駆け抜ける。
一歩一歩、実感しながら駆け抜ける。
転ぼうと、事故に遭おうと、死ななければいい。
全速力。
ギリギリの生活でどうのこうのというのはもう飽きたので、
お金を貯めたい。
そして余裕が欲しい。
そこの面で神経を使っていると、他になかなか身が入らない。
今は日々バイトをしている。
家から徒歩3分のとこと新宿。
空いた日は、日雇いをぶち込む。
余裕ができたら、また何か始めようかとも思っている。
まだ何も考えてはいないけど。
ただ金のためだけにやっている日雇いの時間を、もっと有意義な時間に。
せっかく動きやすい場所にいるし、
今は何をやってもいいのだ。
今はというか、人生は何をやってもいいのだ。
まずは金。
そして部屋を片付けよう。
そしてユニットバスが全くうまく使いこなせない。
乗り越える壁はたくさん。