2025

台湾に来て早くも3年が過ぎた。
もう3年か。
気づけば台湾の南部、高雄に住んでいる。

非常に居心地が良い。
居心地が良すぎて、時間がゆるゆると過ぎていってしまう。
夏は暑いし、夏は長いが、台北に比べ雨は随分少ないし、湿気も少ない。
基本的にいつも晴れているので、心が自然と明るくなる。

この歳になって新しい人間と会うことが増え、しかもそのほぼ全てが台湾人。
良い出会いもたくさんあった。
今後も長々と関係が続いていきそう人や、毎週のように遊ぶ人も。
日本にいるときだと考えられない。
仲が良くても数ヶ月に1回遊ぶぐらいだったが、
一週間に2回も3回も一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだり。
遠出してみんなで音楽イベントにいったり、旅行に行ったりも。
それでも全然苦ではなく、むしろ1週間以上会ってないと会いたくなってくる大切な人間たち。

今まで日本人相手に、男女の関係以外でそんなこと思ったことがなかった。
とはいえ基本日本語通じないので、ノリで会話していることが多いが、
それでも日本人より分かり合えてる気がする。
自分は日本を出て本当に良かったんだと思う。

ただ居心地の良さから、ギラギラした気持ちがだんだんと薄れてきてしまっている。
このまま楽しく好きな場所で好きな人たちと生きていけたら幸せなのかな。
という甘えが心を侵食してきている。
飲まれてはいけない。
歳も歳。
あと数年が恐らく最後の勝負。
この年の切り替えを機に、少しずつ変えていかねばならない。

毎年そう。
今年こそは今年こそはで始まる1年。
来年こそはで終わる1年。
どこかで止めなければならない。
それが今年なのか、来年なのか、3年後なのか、もしくはないのか。
ないはダメだ。
死ぬ瞬間を考えたときに、このままだとまだ全然ダメだ。
きっかけを待ち続けたが、きっかけは現れない。
自分できっかけを作らねば。
ただそのきっかけが分からないから、今年は種をいっぱいばら撒こうと思う。
何がきっかけになるか分からない。
なるべく今までやらなかったことをやる。やったこともどんどんやる。
時間があるときは家にいないようにする。
家は悪魔だ。
前のめりに前のめりに。
いや、前屈みぐらいがちょうどいいかな。
常に前屈みで、何かあれば自然と足が前に出るような。
今年のテーマは「前屈み」と「種」。

2025年。おじいちゃんが死んだ。
99歳だ。
自分の2倍以上も生きている。
ということは自分の人生もまだ2倍以上あるかもしれないということだ。
ここまでの人生色んなことがあって頑張って生きてきたが、
これの倍の人生があるのか。しかも老いながら。
そのことを考えると、若干の絶望と困惑と急がねばという気持ちになる。
この2倍、何をして生きよう。

日本にいるときに思っていた死ぬ前に達成したい2つのこと。
「台湾に住む」、1つは達成。
もう1つもとっとと動かねばという気持ちと、まだまだ全然無理だという気持ちでなかなかまだまだ。
じゃあもっと達成することを増やさねば。
一度忘れかけていたが、やはり「残す」ということはしなければ。
でもその他が意外とない。
刺激はほしいが、マイナスの刺激はいらない。
基本、コミュニケーションが取りづらいという小さな刺激があるので、
今はそこまで求めていない。

あった。「金」だ。
おじいちゃんがいつも言っていた言葉。
「お金は本当に大切」。
そろそろ向き合わねば。
まあとにかく種を蒔こう。
その種が実らなくてもいい。とにかくたくさんたくさん蒔こう。
時間を無駄にせず。使った時間は無駄に思わず。
ソファーになるべく座らず。家にいず。
なるべく早く寝て、なるべく早く起きる。

そうだ。
今年は20年ぶりぐらいに心が落ちたときがあった。
自分はこんなにも心がないのかと。
意図的に心をなくしてきたけど、こんなことになってしまっているのかと。
台湾に来て、少しずつ心が広がってきた気がしていたが、まだまだだった。
心を広げるのは大変だし疲れるししたくないけど、台湾なら日本に比べたらマイナスに感情が働くことも少ないと思うし、少しずつ広げていこうかな。
とはいえ、心が落ちたということは、20年ぶりに感情が動いたということでもあるので、もしかしたら少しは変わってきてるのかな。
プラスの感情ももっと動いていったらいいな。
嘘のない感情。

気負うと良くないので、少しずつ少しずつ。
じじいになる前に、遅すぎず、速すぎず、時間の短縮。前に屈んで。

さあ、もう3時だ。寝よう。

また来年。

 

 

2022

2022年が終わる。
そして台湾にいる。

台湾に住んでいる。

気づけば2ヶ月が経っていた。

2021年9月頃、家の契約更新タイミング。
渋谷に住み8年が経っていたことに気付き、何故かものすごいショックを覚えた。
8年もずっと同じところに住んでいたのか。
なんてつまらないんだ。もうやめよう。
でも住みたいところも特にないし、これからどうなるか全く分からないし、もう家いらないか!

ということで、家をなくした。

そもそも住民票を今まで実家から移したことがなかったので、特に問題もなく、Air-bnbで暮らし始める。

2021年12月、会社を辞めた。

その後、1つお話をもらって1ヶ月半ハワイに滞在した後、同じAirbに戻る。
いったんAirbでという気持ちだったが、ここがまたとても素晴らしく居着いてしまった。
半分ホテルみたいなところで共用のキッチンもあり、色んな人とも出会った。

毎日ご機嫌なItalian、ぶっ飛んでるChinese、海外から騙されたお金を取り返しに舞戻ってきたJapanese、全身タトゥーだらけで家族のように心配をしてくれる管理人、そんな愉快な仲間たちと愉快な半年間を過ごした。

毎日のようにみんなで料理を作り、一緒に食べ、遊び、出かけ、パーティーをし、たまにちょろちょろ単発で働きながら、失業保険をもらいながら、先のことなどほとんど考えずお金を減らしつつ、楽しく日々を過ごしていた。

「楽しい」なんて、とうの昔に捨てたはずだったのに、この年になって「楽しい」ということの素晴らしさを知った。かけがえのない時間。

半年が経ち、Italianは母国に帰り、Chineseは大学院の試験が始まり、「楽しい」は終わりを告げた。

さあ、どうする。

0になったときに考えたことは、やっぱり死ぬときのことだった。

死ぬときに、後悔をしないようにしたい。
後悔を残したまま死ぬことは、多分何よりも辛いことだと思う。

そうならないように、一度きりの人生。
このご時世、いつ死ぬかも分からない。

もっと自由に。

やり残したこと。
パッと浮かんだのは、2つだった。

1つ目、台湾に住むこと。

2つ目、いつか子供がほしい。

2つ目は、まだできない。
相手どうこうもあるが、まず、自分の人生に一区切りをつけないと。

じゃあ、1つ目だ。
一刻も早く。住もう。

職を探した。

中国語はいつまで経ってもなかなか上達しない。
中国語が必要のない仕事。
見つかった。

もう、今までとは全くもって違う仕事。
まさか自分がやるとは思ってもいなかった仕事。
でもよくよく考えると、小学生か中学生の頃、一度だけ考えたことがあった。

きっかけは、とある台湾人のひとこと。
「向いてると思います!」

その言葉を鵜呑みにした訳ではないけど、
何故か考えもしなかったことが、ありかも、に変わった。
理由はよく分かっていないが、導かれている気がした。

そこから職を探し、割と早く決まった。

台湾に住みたい理由はまだ自分でもわかっていないけれど、
それを確かめに、何故自分が台湾に惹かれているかを確かめるためにも、住むことにした。
一つあるとすれば、台湾人と共に生きていきたい、ということかもしれない。

ずっと生きづらかった。
日本。

生きやすいように、自分が生きやすくなるように、仕事でも頑張った。
でも変わらなかった。
変えられなかった。

じゃあ自分が変えるんじゃない、自分を変えてしまおう。
どうすれば変わるか。

生きやすい場所で生きよう。

台湾に来て、2ヶ月が経った。

生きやすい。

人生で始めての感覚。
この2ヶ月間、一切イライラしていない。ストレスがない。
イライラしている人も0とは言わないが、ほぼ見ない。
そもそも感覚が違っている。

歩いていると、人にぶつかることがある。
大体の日本人は謝るか、イラッとするかの二択だ。

台湾人は違う。
特に謝らない。

ぶつかることがそもそも悪いと思っていないのだ。
人間、歩いてたらそりゃぶつかるっしょ、みたいな。
いちいち謝らなくていいよ。ぶつかるぶつかる。
空気のような感覚なのだ。

しかし一方で、謝謝はよく使う。
エレベーターで乗ってくるのをドアを開けて中で少し待っていると謝謝と言って入ってくる。日本人はすみませんと謝って入ってくる。

人と車は完全に対等だ。
信号がない横断歩道では、お互いバランスをとりながらここぞというタイミングで交差する。
電車内では皆大きな声で電話をし、同性同士が豪快にイチャつくが、誰もそれを気にも留めない。
割り込みなんてする人はおらず、急いで歩く人も少なく、偽物の笑顔は見ない。

この台湾人の感覚が、すごくしっくりくるのだ。

生きづらい理由は、しっくりこないことが多すぎたのかもしれない。
納得いかないこと、イライラしている人間が多すぎること、偽物の言葉。
分からなすぎる本心。裏の裏の裏の裏。
裏はもういい。
表の世界。

とはいえ、まだ2ヶ月。
これからどんどん悪いところも見えてくるのかもしれない。

だいぶ生活には慣れてきた。
金はない。
食は美味い。
物価は上がってきているが、それでも日本よりは若干安い。
給料は1/3以下。
部屋は寒い。
仕事は結構慣れてきた。
忙しいが、以前の比ではない。

さあ、2023年。

人生を区切るとしたら、第四章。

台湾編。

始まりました。

会社をやめた10の理由

2021年12月をもって、リアル脱出ゲームを制作/運営する株式会社SCRAPを退社した。

2014年に入社してから約8年。長かった。

これまでに何度か辞めようと思ったことはあったけども、決定打がなく、そして忙しいながらも居心地の良さや会社への愛もあり、気付けば8年もの月日が経っていた。

最終的に決定打という決定打はなかったものの、色んな要素が急激に重なり、結構急に「あ、辞めよう」と思い立ち退職を告げた。

そう感じたときからしばらく経ってしまったのもあり辞めた理由を言葉にするのはなかなか難しいけれど、いずれ振り返ったときに忘れないよう書き記しておこうと思う。

多分10こくらいに収まる気がする。


■その1「モチベーションの急低下」

10このうちの結構大きい部分がこれ。
一度、2019年に大きな波がきた。
今までものすごいたくさんのリアル脱出ゲームを作ってきたのだが、約束のネバーランドとコラボした『偽りの楽園からの脱出』を作り終えたときに、ある種満たされてしまった。
「これ以上面白いものは、もう自分には作れない」
「今後誰かが同じくらい面白いゲームは作れたとしても、これを大きく超えるものは作れないんじゃないか」
と結構強く思ってしまい、その後、もうリアル脱出ゲームは作れないと一度取締役に辞める相談もしている。
結局、海外、主に台湾に関わる案件を進めつつ、リアル脱出ゲーム以外の新規案件を生み出す部署にいったん異動してみようとなり、色々動こうとしている中、やつがやってくる。


■その2「コロナ」

SCRAPもコロナで大きく変わった。
リアルイベントに人が来れなくなり、そして来なくなり、経営が揺らいだ。
しかしそんな中、どうにかオンラインイベントに活路を見出し、一気に力を注ぐことになる。
自分がいた新規事業部は解体され、オンライン事業部が設立された。
その頃はわがままなど言える空気は一切なく、とにかく会社がなくならないようみんな必死で動いた。
オンラインというものに特別興味があった訳ではなかったけども、やれることはあるし可能性もある、とにかく今は会社のために頑張ろう、という気持ちですんなり異動を受け入れた。

が、SCRAPはもう一つ変わった。
リアル脱出ゲームはネタバレがあるため、基本一度しか体験できない。
そんな特殊なゲームのため、リピートさせるには新しいゲームを作らねばならない。
その新しいゲームを体験した人をリピートさせるには、さらに新しいゲームを作らねばならない。
つまり、リピートさせるには、永遠と新しいゲームを作り続けなければならないのだ。

カラオケはどんどん曲が増えていくのでリピートできる。
ボーリングは何も変わらなくてもリピートされる。
コンシューマーゲームやオンラインゲームも、基本何度でも繰り返し遊べる。

映画だけは違う。
リピートはできるものの、基本は一度観たら終わり。
また映画館に来させるためには新しい映画をどんどん上映していかなければならない。

映画とリアル脱出ゲームが大きく違うところは、映画はその新しいものを作る会社やチームがものすごい数あるけれど、リアル脱出ゲームはSCRAPのみ。
自分たちだけで、ものすごい数のゲームを作り続けていかなければならないのだ。

そもそもがそんな特殊で大変なものなのに、コロナの影響でそこが更に加速した。
とにかく数を打とうと。

僕が入社してから退社まで言い続けてきたことが一つある。

「リアル脱出ゲームを気軽に何度でも遊べるものにするべき」

これができたとき、この社会が大きく変わるんじゃないかと思っている。

この社会には、遊べるものが少なすぎる。
「遊び」の選択肢は、恐らくここ何十年も大きく変わっていない。
食事、酒、カラオケ、映画、ゲーセン、ボーリング、ダーツ、ビリヤード、カフェ、買い物、ドライブ、美術館、散歩、ライブ、クラブ、等々。ずっとあるものばかり。

このラインナップに新たに入れられものを作りたくて僕はSCRAPに入社していた。
そのためには「気軽」で「何度でも」参加できることは必須条件で、ずっとそのことを訴えてきたのだが、どうにもこれが誰にも響かなかった。
そもそも目的が違っていたのかもしれない。

最後の最後でどうにか生み出せたのが、『ミステリータワーからの脱出』。
この「何度でも」という仕組みを作るのが難しい中、「何度でも続きから遊べる」という仕組みを成り立たせ、この世に生み出すことができたのだ。
ただこのシステムをつくるため、莫大なお金がかかってしまった。
こんなこけたら大打撃の経営が危ない中、この企画をGOしてくれたときの取締役は本当に男気があったと思う。

一度この企画はポシャろうとしていた。
予算を作成し、取締役にプレゼンしたとき「こんなものGOできるわけがない」と一蹴された。
僕はどうしてもこれを世に出したかったので、もう一度だけチャンスをもらった。
恐らく取締役は、この企画を少なくとも今は通すつもりはなかったのだと思う。
ただ僕は一刻も早くこれを世に出すことが、最終的にSCRAPを救うと信じていた。

規模と予算を可能な限り縮小し、SCRAPの未来と、上に書いたような個人的な思いの丈を、思いっきりぶつけたとき、取締役はその場で即GOを出した。

多分、今までの人生で一番のプレゼンだったと思う。

話がどんどんズレていってしまう。
まだ、2つ目だ。

とにかく、この「数を打つ」「作り続ける」というのが、僕はどうにも正しいと思えなかった。
一度全員で立ち止まってでも、「どうしたら少ない数でリピートしてもらえるか」「どうしたら少ない数で参加率を上げられるか」を考えるべきだと思っていた。

この「数を打つ」ことで、ものすごい弊害が生まれてしまうからだ。
その弊害、「忙しさ」がもう一つの理由。


■その3「忙しさとの対価が見合わなくなった」

SCRAPを辞めていく人は、あまり理由を公表せず辞めていく人が多いが、恐らく一番多い理由としては、「忙しすぎる」だと思う。
ただこの「忙しさ」を、「楽しさ」や「やりがい」や「お金」が越えていっているときに、その忙しさは乗り越えられる。辞めていった人たちは、「忙しさ」が、それらに見合わなくなってしまったのだと思う。実際、自分もそうだ。

SCRAPは居心地が良い。面白い人間も多いし、良いやつも多いし、ほどよく緩く、とても自由で気持ちを大事にする。自分にとってはすごく良い会社だった。
基本的に仕事は楽しいし、やりがいも自分で作ってきた。
しかし、『偽りの楽園からの脱出』を作り終え「やりがい」が減ってしまい、コロナが始まり「楽しむ」余裕もなく作り続けねばならなくなってしまったのだ。


■その4「ガスがとまった」

そんな忙しすぎる日々を過ごしているとある朝、シャワーを浴びようとしたらお湯が出ない。
ガスがとめられてしまったようだ。

支払いができてないことには気付いていた。
冷たいシャワーを浴びることも別にそこまでのことではない。
ただ、コンビニにガス代を支払いに行く余裕もないほど忙しいんだと思ったときに、そこまでの対価は今あるのか、何のためにそこまで頑張っているのだ、俺は冷たいシャワーを浴びてまで頑張る理由はあるのか、と思ったときにふと辞めることがよぎった気がする。
完全にこの瞬間に辞めようというときはなかったのだけれど、強いて言うならこの「冷たいシャワーを浴びたとき」なのかなという気がしている。


■その5「やりたいものだけやれなくなった」

僕はだいぶわがままを言ってきたと思う。
やりたくないものはやりたくない。これは結構働く、そして生きていく上で大事にしていることで、やりたくないものを「やりたくない」と言えるように、その分頑張ってきた。
自分や自分たちで企画したり、そもそも自分のやりたい方向に変えていったり、興味あるものに積極的に手を挙げていったり、やりたいものだけで自分の仕事が埋まるようにしてそこで結果を出し、やりたくないものが降ってきたときに断れるような状況を作り出していった。
それがコロナで通じなくなった。
そして、もう一つ、


■その6「誰でもやれることをやりたくない」

これも結構生きていく上で大事にしていることで、自分がやる意味がないもの、自分じゃなくても誰かができるものには、ものすごい拒否反応が出てしまう。
それをやった瞬間に自分の存在価値というか生きている価値がなくなるような気がしてしまい、ずっと避けてきた。
それがたくさん降ってきた。

自分にしかできないものはあると思っているけれど、「誰にでもできるもの」「誰かができるもの」は気持ち的にも、多分能力的にもできないんだと思う。基本常識がなく常識を身に付けることが苦手で、マニュアル通りにやることができない。
そして「誰かが考えたものを形にする」これも結構苦手で、どうしても自分の色をたっぷり入れないと気が済まず、ほぼほぼできているものを「これを世に出してくれ」と言われるとものすごく拒否反応が出てしまう。


■その7「プロデューサーが向いてない」

そしてもう一つ苦手なものとして「お金」がある。
そもそも数学的な部分でも苦手ではあるのだが、「お金」に対する興味がどうにも持てず、いや興味というかお金は稼がなければならないし、プロデューサーが一番頑張ることは「お金を稼ぐこと」だと思うのだけれども、どうしてもそこより「面白いものや新しいものを作りたい」という方が勝ってしまっていた。
そもそもその時点でプロデューサーという仕事にあまり向いてないのだと思うけれど、コロナで「お金を稼ぐ」が圧倒的正義になった今、そして自分でもそれが正義で正しいと思った今、お金を稼ぐことが苦手な自分には、お金を第一に考える働き方はなかなか苦しかった。

もちろんお金のことを全く考えていなかった訳ではなく、上に書いたように、「気軽に何度でも遊べるゲーム」を作ることで将来的にものすごい利益をもたらすんじゃないかみたいなことは考えてはいた。
ちなみにそうしたゲームを生み出すことは、全体で作るゲームの数を減らすこともでき、そうすることにより社員の忙しさが減り辞める人間も減り、色んな良い効果をもたらすとも思っている。

僕はラジオの仕事をしているときからこれまで、働いているときはずっと忙しい生活をしている。
何なら忙しいのが好きだったりもした。
ただ最近は考えが変わってきた。


■その8「忙しいは正義ではない」

忙しさは人間を不安定にさせるし、良い仕事をするには良いプライベートを過ごすことも大事だなと最近ひしひしと感じるようになった。
以前はそんなこと考えたこともなかったが、「良いプライベートを過ごすために頑張ろう」とか「プライベート楽しいから忙しいけど仕事頑張ろう」みたいなのもありだなと思ってきている。
そしてプライベートが充実することで心が安定し、良いパフォーマンスを発揮でき、楽しく仕事もできる。ちなみに、忙しいは正義ではないし、イライラしながら仕事をする人間は悪だと思ってます。
そう思いつつもどうしてもイライラしてしまうこともあったけれど、なるべくアホなふりしてヘラヘラしてるようにしていた。イライラは人に伝染し、イライラすることでストレスが溜まり楽しくなくなり、もう本当にいいことが一つもない。今すぐやめましょう。


■その9「会社より自分が大事だった」

コロナの影響で会社がお金を稼ぐことが第一になるに連れ段々と心が追いつかなくなってしまったのだが、会社がそうなることは当然で、本当に存続が危ぶまれていた。
何なら今もその状態は続いている。
みんな必死で会社一丸となって戦っていた。
どうにかこのコロナが落ち着くまで耐えよう、あと数ヶ月、あと一年、自分は捨てとにかく会社のために働いた。

未だにコロナ禍は続いている。
さすがに心がもたなくなった。自分を捨て続けるには長すぎたのだ。
SCRAPへの愛はあるけども、どうにも自分への愛の方が強かった。

ちなみに、自分なんかよりもSCRAPへの愛のある人間は社内にたくさんいたけれど、自分よりSCRAPの未来のことを考えて働いていた人は役員を除いてはいなかったんじゃないかなと自負している。
自分が担当した案件には、必ずと言っていいほどSCRAPの未来のためになる要素を入れ込んでいたし、むしろ未来のSCRAPのために毎回作っていたという方が正しいかもしれない。
「お金に興味がなかった」というよりかは、「単発でお金を稼ぐのは任せた!自分は未来の大金のために頑張るぜ!」という気持ちが強かったような気もする。
まあ結局、そこまで大きな結果は出せてないけども。

そして『ミステリータワーからの脱出』のような例外を除き、全員が「未来」より「今」を優先しなければならなくなり、魂がどこかに置いていかれてしまった。

これを見た誰かが拾ってくれますように。


■その10「気持ちがないやつは迷惑」

そして、一番の理由としては、恐らくこれ。

そんな感じでモチベーションや気持ちが段々なくなってきてしまっている中、どうにか周りにそれがバレないように必死に隠してきた。
が、それが長くなってくるとどうにも隠しきれず漏れ出てしまっていることが自分でも分かり、これ以上いたら迷惑だ、と思うようになった。

元々、気持ちがない人、やる気がない人がチームにいるのがものすごく嫌だった。
そんな人を見るとどうしてもイライラしてしまうし、みんなのモチベーションも下がってしまうし、そんな人が一人でもいると良い作品は生まれない。本当にそういう人はチームから外れてほしいと思っていたのに、とあるときから自分がその存在になっていることに気付き、絶望的な気持ちになった。

決定打はなかったと書いていたけれど、これらの9個の理由が同じようなタイミングで重なり出し、この10個目がドンッと積み上がったときに退職を決めた。

と、どうにか10個にまとまった気がしたが、よくよく考えたらまだまだ理由はあったので、また今度書こうと思う。
会社に関わることは以上で、あとは自分の人生観においての理由。

 

簡単に言うと、刺激不足。
そろそろ頭使わないと腐ってしまう。
他のことしたい。
ちょっと真面目に生きすぎた。
いったん、0にしよう!

だ。

38歳、無職、家なし、恋人なし。
さーて、どう生きよう。

久々にゾクゾクしている。

 

 

台湾2

数日前、4年ぶりに万平くんに会った。
基本自分は他人には相談事をしない。
何より人を信用してないし、決断の責任は自分で持ちたいし、大体のことは自分が正しいと思い込んでいる。

が、万平くんとアスミとはなちゃんのことは割と信用している。
相談という相談はしないが、ヒントを求めることがたまにある。

久々に大学時代のみんなと顔を合わせ、朝まで酒を呑んだ。朝5時、万平くんに聞いてみた。

「面倒くさいに勝つにはどうしたらいいんだろう?」

ずっと勝てないでいる。
生きていく上で一番の敵。
特に最近は歳を重ねたのもあり、より強大な敵となって目の前に立ちはだかり続けている。
この2年間は負け続けている。
どうしても勝てなかった。
腰が重くなり過ぎている。

万平くんは少し考えた上でこう答えた。
「スピードじゃないかな?」

なるほど。
面倒くさいと思う前に行動しちゃえば、面倒くさいに勝てるのか。
ただ面倒くさいと思う前というのはなかなか難しく、どうしようかと考えてしまうと、もう面倒くさいが目の前に現れものすごい存在感を放ち出す。
だから面倒くさいと思う前、もはや何かを考える前にすぐ行動しなければならない。少しでも考えてしまうと奴が現れてしまう。考えてはだめ。

15、16、17日が3連休。
3日間とれる夏休みを13、14、18日にしよう。
ここまでにしておいた。
考えてしまうとだめだから。

そして12日が終わり13日になった。

行こう。

午前1時、行った後のことは何も考えず、往復飛行機のチケットだけすごいスピードで取った。
まだ奴は現れていない。

そして現在、9月13日23時。飛行機の中にいる。
あと1時間ほどで台湾に着く。

2回目の台湾。
ちょうど2年前だ。
前回は初日と最終日のゲストハウスだけ予約していったが、今回は全く何もしていない。

さてどうしよう。
どこに泊まろう。
どこに行こう。
何をしよう。

なにも決めてない。
いや、1つだけ決めていた。

それ以外は何もない。
まあとりあえず着いたら考えよう。

問題に直面すれば、きっと考えても面倒くさいは現れないはず。

俺の勝ちだ。

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2018年9月13日(木)1日目

深夜1時半ようやく台北駅に到着。
さあどうしよう。
とりあえずフラフラと歩く。
意外とHOTELの文字がチラチラと見える。
どうにかなりそうだ。

人はほとんどいない。
やはりいい国だ。
気候はまだムシっとしているが、そこまで悪い居心地ではない。
アホみたいな看板。汚そうなのにゴミが少ない道。
優しく安く泊まれるところを教えてくれるおっちゃん。コンビニの美味しすぎるおにぎり。
何だか宿泊先を選びながらフラフラしてると3時半に。
そろそろ寝なくては。
Backpack Houseが1000元にディスカウントしてくれたのでここにした。
二段ベッドだけがある部屋に1人で泊まる。
深夜4時。
明日はどうしようかな。

明日決めよう。

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2018年9月14日(金)2日目

11時にチェックアウトし、ゲストハウスを出る。さあどうしよう。
まずは持ってき忘れた髭剃りとメモ帳を買いに台北の街を歩く。暑い。

購入し、何となくブラブラしつつ、よし台南に行こう!と気分がなったので、新幹線に乗り台南へ向かう。
約2時間かけて台南へ。前来たときと何か違う。周りに何もない。
ネットで調べてみると、ここからさらにTRAに乗り換える必要があるようだ。

今回の旅では空港でポケットWi-Fiをレンタルした。
前回ネットが使えず結構大変だったから今回借りてみたが、
いざWi-Fiがあると、こまったときに何でも調べてしまう。
前回はとにかく人に聞きまくり行動していたが、今回はすぐに調べて割と解決できてしまう。

物事が簡単に進むのもそれはそれで物足りない。
17時後頃ようやく見慣れた景色に辿り着き、前回泊まったゲストハウスを目指す。
道の記憶はないから、これも調べる。
歩いてみると結構遠い。こんなに遠かったか?全然知らない景色が現れた。そして辿り着いたが何かおかしい。
リニューアルしたのか?入口から周りの景色からかなり違う。店の名前はあっている。
そして入口には外出中の文字が。また調べる。どうやら別支店のようだった。
割と離れた違うところに来ていたのだ。
気づけば何だかいい感じの地域に来ていたので少しフラフラし、前回の方を目指す。
到着。ない。
入口のドアも開かず、看板すらない。
閉じたのか?
再び戻る。外出中。
もう違うとこにしよう。また調べる。
何やら日本人の経営するゲストハウスがあるようだ。
今回人とあまり会話しておらず人と触れ合いたくなり、そこに行くことにした。

ドミトリーで500元。
客もスタッフも日本人。
ひとまずビールを飲む。
日本人が5.6人戯れていてどうしようかと思ったけど、いったんその場を離れフラフラすることにした。21時頃。
何か食べようかと思い色々探すが暑すぎて中の涼しいところでチェーン店っぽくないところを探してたら全然見つからず、飲み物屋で休憩しつつオススメの店聞いたがうまく伝わらず結局暑いとこでラムを食い酒も飲む。

日本で飲む酒はどんどん苦手になっていっていたが、ここでは飲める。
そして気づけば深夜1時。
ゲストハウスに戻ると、共用のとこで男女2人が話していた。酔っ払ってたのもあり、混ざってみる。
25歳の大阪の男と27歳の福岡の女。意外と話せる。少しおかしな良い子たちだった。
旅をしている人はいいやつが多い。
深夜2時半、2人が部屋に戻る。
深夜3時、この文章を書き終わる。
眠ろう。
少し台湾感が戻ってきた。

今日、もしかしたら台湾にいるかもと思って彼に連絡してみた。
するとなんと昨日ちょうど台湾に帰ってきたらしい。
高雄のゲストハウスはもう経営してないらしくオススメの宿泊先を教えてもらいつつ、
明日タイミング合ったらご飯食べることになった。
ということは明日高雄に行くようだ。
おやすみなさい。

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9月15日(土)3日目

12時チェックアウト。
共用スペースにいた昨日の27歳男と、寝っ転がっていた若い女性とダラっと少し話し、宿を出る。
そのまま高雄へ。
14時半高雄着。前回高雄をまわる時間がなかったので、ひたすらグルグルしてみる。
すると、豆とお菓子ばっかり売っている商店街や、屋台が並ぶごきげんな通りに出る。
そこで焼肉丼を食う。30元くらい。
デザートも食べる。とても美味しい。「これ何?」って聞いたらおばちゃんが黒いのもオマケで入れてくれた。
歩く。雨が降ったり止んだり。

歩きまくり、エリックに勧められたguesthouseに到着。
今のところ飛び込みでも全て問題なく入れる。
二段ベッドが3つ詰め込まれた6人部屋。昨日もこのパターンの部屋だった。
するとちょうどエリックから連絡が来て18時頃合流。ご飯を食べに行く。エビやら炒飯やら緑の野菜やら。
そして夜市をまわりフルーツ食べたり。またもや、雨が降ったり止んだり。
そういえば台風が来るという噂だったが大雨にはあたっていない。

そして24時、一度エリックの家に戻りつつ、タクシーで前回行ったクラブへ向かう。
若者だらけだ。もはやクラブなんて日本では行っていないが、少し引け目を感じながら飲んだり少し踊ったり話したり。
あっという間に朝を迎え、前行った朝食屋で朝御飯を食べる。前回と全く同じルーロー飯とスープ。
タクシーに乗りエリックと握手を交わし別れる。
ゲストハウスに戻り就寝。

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9月16日(日)4日目

朝10時起床。
眠い、11時にチェックアウトだが、明日はついに大事な予定がある日だ。ここからは計画的にいこう。
昨日朝5時頃戻ったが、そこから2時間近く同室の誰かのいびき地獄により眠れなかった。
パソコンで色々調べ、13時宿を出発。
台中の宿を2泊分とった。前回と同じだが、少し疲れていたのもあり個室にした。
昨日エリックに聞いた西子湾に行く。
20元のロッカーに50元を入れたら変な紙が出てきて台湾人カップルに助けてもらったり、バイクが停められず困ってる女性をMay I help you?で3.2.1.go!のup&backで助けてあげたりしながら目的地に到着。
なんか少しアートが意識されたところ。
何となく見て行ったがやはり観光地っぽいところにはあまり興味が湧かず、しかし近くの公園が刺激的だった。
ここは、シャボン玉と凧が無数に宙を舞っている天国だ。
子供や若者まで、天使が微笑むようにシャボン玉を飛ばし凧を挙げていた。
無数のシャボン玉がこちらに飛んでくる。
夢中で玉を浴びる。

地べたに座り、しばらく心と体を死なせてみた。
何だこの平和感は。こんな平和で人生が成り立つのだろうか。
そういえば台湾に来てから誰も怒ったりイライラしてたりしていない気がする。
人のスピードも遅いし、時もゆっくりと流れている。
台湾人も好きだし、台湾も好きだけど、ここでずっと暮らしたらどうなってしまうのだろう。
平和過ぎて平和死にしてしまうんじゃないだろうか。

そんなことを思いながら17時台中へ電車で向かう。
19時半に着。気付けば夜。
台中の駅周りはより汚くなっていた。何やら台中人は電車を使わないから駅周りの状況はあまり知らないらしいが、働きに来たどこかのアジア人がそこら中にたむろっていた。何だか悔しい。台中に初めて来た人は台中がこのイメージになってしまう。
街を少しフラつき、宿泊先にチェックイン。
そのあとも街をフラつくが明日に備えて就寝。久々に広々寝れる。

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2018年9月17日(月)5日目

13時にホテル前で待ち合わせる。13時1分に「着いた」と連絡があり下に降りると長袖を着た彼女が立っていた。
去年の12月、東京で別れてから9ヶ月ぶり。
そこまで久しぶりの感じもなく、すごく久しぶりな感じもある不思議な気持ち。
まず彼女が言った言葉は「遅くなってごめんねー」だった。1分。

そこから少し歩き、お粥を食べに行く。
台湾は食べ物は全部美味しいけど、飲み物も全部美味しい。あとやはりセンスがいい。台湾人は日本人がお洒落と言うが、台湾人の方が自然体でお洒落だ。日本人は一部が頑張ってお洒落していて、その他大多数はダサい。おばあちゃんから、おじさんまで。人から街から表情から。誰も何も特に頑張っていない。自然体。
あと大多数の日本人には興味がわかない。
台湾人には大体湧く。
もっと台湾人と知り合いたいな。

そこから彼女のバイクの後ろに乗り、彩虹眷村に向かう。
おじいちゃんが気まぐれで描いてそこが観光地になったようだ。いいな、こんなでかいとこに自由に描いてみたい。
そういう場所ないのかな。自由に部屋中に思いっきり描き殴ってみたい。

アイス食べたり、キャップ買ったり、写真撮ったりした。
再びバイクに乗り、劇場みたいなところへ。手を繋ぎ、小物屋見たり、変な演劇の映像を見たりして、屋上に行く。
まだまだ台湾は暑いが、広くて気持ちの良い空間が広がっていた。しばらくここで過ごす。
聞いたところ、彼女にはまだ恋人がいるようだ。別にそれはショックではなく、そもそも自分が彼女とどうなりたいかすら分かっていない。
そんな話を聞いた後なのに、何故か後ろから彼女を抱きしめてしまった。

彼女が明日早いらしく、時間ない中、ご飯を食べに行く。
ビールを飲み、キノコの唐揚げとパスタを食べる。このキノコの唐揚げが美味いのなんの。
なんでこれ日本にないんだろう。絶対流行るのに。
またパッとお会計を彼女が払ってしまい、バイクに乗って宿泊先まで送ってもらう。
もう少し一緒にいたかったけど、帰らなきゃということでお別れする。

彼女は日本にまた住みたいとは言っているが、今のところ行く予定はない。
次会えるのはいつだろうか。自分もしばらくは台湾に行かない気がする。

今回少し悔やまれるのが、前回とほぼ同じところに来てしまったこと。
台北→台南→高雄→台中
また来たいとは思うけど、目的が何だか分からなくなってきた。
明日、日本に帰る。

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2018年9月18日(火)6日目

昼12時35分桃園発の飛行機。
8時に起き、8時35分にバス停に着くが、空港行きのバスは8時半に出てしまい次が9時半発とのこと。
そこから2時間半かかるらしくそれだと計算的に間に合わないやめとけとおばちゃんに言われ、払い戻す。
急いで電車に飛び乗る。新烏日駅まで電車で行き、そこから新幹線で桃園。そこからさらにMRTで桃園国際空港へ。
11時過ぎに着。列ができていて結局ギリギリで搭乗。ぐっすり眠り成田着。最後にバタバタ。ふう。

明日からまた元の生活が始まる。
台湾もだいぶ見慣れてきた。今回そこまで刺激はなかった。
もし台湾で暮らしたとして、そこまで刺激的な生活ができるだろうか。
言葉も話せるようになり、知り合いも増え、環境も変わり、となれば今よりは確実に刺激はあるし、世界も広がる。
ただ、ここに暮らすことに本当に意味はあるだろうか。
結局飽きてしまい、また、日本に戻りたくなってしまうんじゃないか。

今、仕事で中国の話が出ている。1人住む人間が必要。中国は行ったことがない。
台湾より確実に環境は良くないし、特に興味もないし、人も台湾人の方が圧倒的に好きだ。
台湾ではなく中国。流れるままに流れるか。違う方向に向かうか。
どちらにしろこのままでいるより全ての行動はマシだ。
中国の話が出たとき、即決で行きたい旨を伝えた。

決断は少し先に延ばし、とりあえずここからは真剣に中国語を勉強してみようと思う。
文字は違うがどちらにせよ言葉は必要だ。

18時、日本に帰ってきた。
今回の結論としては、

・日本人はつまんない顔してるな
・中国語を真剣に勉強しよう
・失いかけている自信を取り戻す
・もっと一緒にいたかったなあ

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2018年9月21日(金)

中国の話がほぼなくなった。
さて、どうしよう。

2018年が終わってしまう。

2017

 

2017年は倒せませんでした。

 

毎年毎年、敵は強い。

でも2017年はそんなに敵ではなかった。
というか、2017年は2017年と仲良くなってしまった。
つらいことを考えないようにするために仲良くするという術を覚えてしまった。

つらさを忘れるためには快楽が必要。
快楽。快楽。快楽。
今年はとことんまで快楽と寄り添った。
結構自分のルールを破り、つらくないようにつらくないように快楽のある方へと流れ流され、泳ぎ回り、心までも動かされながら、と過ごしていたら、気づけば1度もつらいことはなかったように思う。
しかし、やはり快楽というのは簡単に忘れてしまい、残らない。
楽しさ、嬉しさ、気持ち良さ、楽さ、面白さ、、刺激だって今年はあった。

すごい嬉しいこともあったし、すごい興奮することもあった。
でも何かが足りない。
多分、一般的に考えたらいい1年だったと思う。
嫌なこともなかったし、楽しいこともあったし、いい環境で仕事もできたし、会いたい人にも会えた。これ以上求めちゃダメってくらいいい1年だったけど、求めてるのはこれじゃない。
これじゃないんです。
もう何なんでしょう。

来年も忙しくなりそうだ。
これじゃないのをしなきゃダメなのに、なかなか時間がとれない。
のは言い訳で、目の前の快楽を求めなければいいだけ。その瞬間に楽をしなければいいだけ。

日々に悩むことはなくなった。
それがいいのか悪いのか。
悩む暇もないほど夢中になりたい。
忙しさや快楽に逃げず、夢中になって興奮してアドレナリンズブズブになって空を飛び回って大声で叫んで空気と一体化して太陽を全身で浴びて頭グラングランになりながらクルクルと踊り狂う。
というのが週に1回ある日々を過ごしたい。

 

来年がラスト2年目。

延長戦。
コンティニューします。
追加料金は、魂の一部。

来年はもっとルールを破る。
セルアウトだ。
ルールに潰される前にルールを潰す。

 

あ、完全に忘れていたけど、今年すごく久しぶりにあっち側の頭を使ったのだった。が、何か違った。
多分、老いが始まってるのだと思う。
でもやはり文章を書くのが好きみたいだ。

文章をもっと書こう。

 

文章をもっと書きます。

 

2016

年々、時が早くなってくる。
今年も一番早かった。

12月31日が1年で一番好きな日。
この日になり、ようやく立ち止まれる。
さあ、頭を整理しよう。

2016年が終わる。
2016年は台湾に行った。
この年末に、3つほど嬉しいこととすごいことが起こった。

ただ、それ以外はほとんど覚えていない。
この年末までは本当にひどかった。
何もかもがうまくいかず、毎日が苦しかった。
ただ耐え続ける日々。
何のために耐えてるかも分からず、平日を耐え忍び、週末に補充。
そこには何もなく、ただそれの繰り返し。

最近になって長らく吸っていなかったタバコも少し吸い始めてしまった。
酒ではだめ。
酒で逃避しきるほどの体力もなく、タバコの一瞬の解放感でただ現実を耐えるしかなかった。

毎年こうだ。
大晦日になり、一年を悔い、来年に希望をつなぐ。
結果、希望はどこにも繋がらず、一年が終わる。
もうこれを繰り返してはだめ。本当にだめ。
頭では分かっているのに、心と体が言うことをきかない。
何をしているんだろうか。

溜まったストレスを解消すべき術を探すのが精一杯の毎日。
逃げて逃げて逃げて、何とも向き合えず、何とも戦えず、
誤魔化し誤魔化し誤魔化し、日々を消化する。
来年がラスト。
もし来年末に同じことを言うようなことになったら、
そのときは全てをぶん投げる。

もうさすがに時間がない。
このままでは確実に笑って死ねない。
じゃあどうする。
どうすれば笑って死ねる。

その答えは誰も持っていない。
自分しか持っていないはずなのに、その自分と向き合うことすら逃げてしまい、
ずっと答えはでない。
何をするにも疲れてしまう。自分と向き合うことさえ。
歩くことさえ。考えることさえ。動くことさえ。
全てにおいて疲れない選択をし、全てから逃げている。
困った。

ただこの年末と台湾があったから、
少しだけまた来年に希望をつなげていける気がしている。
何に対しての希望かは分からないが、少しいい流れがきているような気配がする。

この気配を掴まないとだめだ。

ただ、来年に期待するのはやめよう。
自分に期待しよう。
自分を信じよう。
自分が動く。
自分が動く。
自分が動く。

言い聞かせる。
忘れないように。
刺青でも入れようかな。

刺青を入れる人の気持ちが今わかった。
あとあと後悔するから入れないけども。

台湾人はみんな刺青を入れていた。
台湾にいた一週間は本当によかった。
あれから3ヶ月。
あっという間に記憶が薄れてきてしまっている。

あのときの気持ちを忘れてはだめだ。
分かってはいるのに記憶がついていかない。

よくよく思い出すと、今年いいこともいくつかあった。
嬉しいこともあったし、刺激的なこともあった。
でも気づくとあっという間に忘れてしまっている。
その瞬間の喜びを持続できない。
刺激すら忘れてしまうようでは、もう何も覚えられない。
記憶することすら疲れてしまっているのだろうか。

もう文章を書くことでしか、そのときの気持ちを残すことができない。
どうでもいい情報はできる限り排除して生きているはずなのに、
たった少しのことでさえ覚えていられない。

もっと残していかないと。
何のために残し、何のために書いているのかもはや分からなくなってきているけれど、いつかきっと残しておいてよかったと思うときが必ずくる。

おー何だか何を書いてるのか分からなくなってきた。

多分来年も同じように日々を消化してくんだと思う。
でもその中で少しずつでいいから変えていこうと思う。

少しだけ見える希望を少しずつ少しずつでいいから探って、近づいていく。
欲張りすぎはだめだ。
今は、そんな体力はないことを自覚しよう。
でも希望が見えてきたら、そのときは重い腰を上げて一気に飛びかかる。
そのための充電はたっぷりとできているはず。

去年の文章を読み返すとこんなことが書いてあった。

==
2016年は、勇気とマトモと台湾と貯金と感情。
5つのうち3つくらいは達成できたらよいな。

いや、欲張ろう。

10こだ。
==

勇気はほんのちょっとだけ出した。
ほんのちょっとだけマトモっぽくも生きた。
台湾にも行った。
貯金はできていない。
感情は少しだけ動いた。
その他は何もない。

貯金しないと。

2016年が終わる。

2017年。

間もなく2017年がやってくる。

私はあなたとは戦いません。
あくまでも自分と戦う。
まずは戦うための準備。

さあ。
何をしよう。

どうすれば準備ができるんだ。

まずはタバコをやめようかな。

少しずついきます。
少しずつ生きます。

今のところ。

やっぱ2017年も倒す。

台湾

2016年9月17日(土)
午前9時半

家を出て、台湾に向かう。
14時半成田発の飛行機。

今年中に行こうとは思っていたが、こんなにも早く行くことになるとは思っていなかった。
思い立ったのは、9月の前半。
3日間とれる夏季休暇とシルバーウィークを合わせ、このタイミングなら行けちゃうんじゃないかと思い、一週間前に勢いで飛行機を予約した。
シルバーウィークというのもあり、往復4万3千円と高め。
9/17(土)~9/24(土)のちょうど1週間。
日曜日までにしなかったのは、きっと感情を整理する時間が必要だと思ったから。
目的は台湾を知ること。
台湾を知り、自分が何で台湾に興味を持っているのか、何で台湾なのか見極めること。
藤野のときのように、行ったら自分が住むべきところなのか分かる気がした。
絶対に心が動く。そう信じ、こんなにも何かに期待したのは久しぶり。
もう何かに期待することなんてしばらくないと思っていたが、
こんなにしてしまったらさすがにまずいんじゃないかというくらい、出発前は期待に溢れてしまっていた。
抑えきれないワクワク。このワクワクの正体は何なのか。

日本は出張で行きまくったが、海外に行くのは人生で3回目。
小学校の頃、家族で行ったハワイ。
大学の卒業旅行で男4人で行ったグアム。
そして、今回1人で行く台湾。
10年ぶり初めて1人で行く海外。
過去2回ともすべて任せっきりだったから、本当に1人で行けるのか不安だったが、どうにかなるもんだ。

台湾のどこに行くかは決めなかった。
予約したのは頭2日間の台北のゲストハウスと、最終日の台北のゲストハウスのみ。
間の4日間は、行動を縛りたくなかったから、どうにかなるだろと思い予約はしなかった。
行く前は、多分台北に7日間いるんだろうなとぼんやりは思っていた。

飛行機が遅れ、18時頃台湾の桃園空港着。
入国手続きに少し手間取るが、無事入国。
台湾には台風がきていた。

行く直前にそのことを知り、この旅が丸つぶれになるかもと思ったが、
なんとなく大丈夫な気がした。
今回の台湾には、きっと行く意味があると思ったから。

空港で7万円を両替し、20914元を手に入れ、バスで台北市内に移動。
英検3級も落ちたし、英語なんて喋れる気してなかったけど、意外とどうにかなる。
もっと日本語が通じると思っていたが、思ったより通じない。
とにかく、I want to go to~と、我想去~を多用。
雨がすごいので地下街を歩く。
まず、サンダルを購入。
駅から近くのゲストハウスにチェックイン。6人部屋。
雨が少し治まってきたので、折りたたみ傘を差し、台北の街へ繰り出す。
日本でさえ迷うのに、台湾で迷わないはずもなく、完全に迷子に。
しかも雨と風がどんどん強くなってくる。
ゲストハウスのまわりはほとんどの店が閉まっていたが、少し離れると栄えた場所に出れた。安い魯肉飯とよく分からないスープを飲む。
その後、近くにあったBARに入ってみる。
日本人もいた。お店の人も日本語を話せる。
まだこの台湾の地に頭と体がついていってなく、何となくワイワイした雰囲気も違い、少し話して台湾ビールを2本飲み、早めに出る。
また迷う。
本当に迷った。大雨。
MRTの階段の上にいた女性に道を尋ねると、MRTに乗ったほうがいいと駅員のとこまで一緒に行き話してくれた。でもそんなに遠くには来てないはずだったので、I want to walkと言い張り、道を教えてもらい、どうにか無事ゲストハウスに戻る。
初日、とにかく雨と風と闇で台北の街はよく分からなかった。幸先悪し。
ずっとこんなだったらどうしようと思いつつ、疲れて眠る。

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9月18日(日)

昨日のBARの店員と、少し前からメールでやり取りをしていた台湾の女性に勧められ、淡水に向かう。
MRTで30分ほど。
日曜だからか、めちゃくちゃ人がいた。
屋台もたくさん。
いろいろ食べてみる。店員と話しても、中国語だとなかなか上手く伝わらない。
木陰で弾き語りをしている少年。
川沿いで空気椅子で動かないパフォーマンスをしている男性。
川を眺めるカップル。
屋台の前に並ぶ家族。
自転車を乗り回す日本人。

サンセットが有名らしく、川沿いに腰掛け眺める。
陽が落ちるまで、頭をリセットし、これからどう生きようか考えてみた。
陽が落ちるまでに答えを出すことに決める。
集中。
やりたいこと、作りたいもの、なりたい自分、生きたいところ、一緒にいたい人、現状、過去、未来。

かなり集中して考えたが、何もなかった。
今の自分には何もないことに気づいてしまったのだ。

では、今の自分にないもの、今の自分がいない場所、今の自分が出会ってない人、今の自分がやってないこと、
を見つけなければならない。
今の自分以外のものを見つける作業。

30年以上日本にいても何もない。
まだ2日目だが何となく台湾にもなさそう。
行く場所がない。
目的もない。

ここでどういう思考からだろうか、1つフッと頭に浮かんだことがあった。
台湾人の恋人を作ることに本気を出してみる。
何にもなかった自分の心が、台湾人の恋人ができた生活を想像したら唯一少しだけ動いたのだ。
今更になって恋愛なのか?
何もない今だからこそ恋愛なのか?
果たして台湾人なのか?
とか考えていると、もうすぐ日没。
あと少しで答えが出そう。
陽が沈む前に、絶対に答えを出す。
あと、10分20分。
集中。

すると、日没前に太陽が完全に雲に隠れてしまった。
そしてその後も太陽は表に現れずそのまま夜に。
答えを出す前に強制中断。
立ち上がり、その場を離れる。

日本に帰るまでにどうにかしたい。
帰ってから迷わぬよう。
藤野に行ったときみたいに。
1つの意志がほしい。
今は何もなさすぎる。

台湾に来たらもっといろんな価値観ががらりと変わると思ったが、そんなことはなかった。
もっとテンション上がりまくり興奮しっ放しかと思ったが、そんなこともなかった。
意外と冷静。
少年の弾き語りをしばらく聴き、少しブラブラし、台北に戻る。
早くも2日目が終わってしまった。
このままじゃまずい。
明日からどうしよう。
何となく日本にいる台湾人が勧めていたのもあり、高雄まで行ってみようかと思った。

今日このまま眠ってはだめだと思い、台北のクラブに行ってみることにした。
若者だらけだった。
酒を飲みながら何人かと英語とほんのちょっとの中国語で話したり、日本語話せる男がいてLINE交換したり、ほんのり踊ってみたり、警察が突入してきたりしたが、何かずっと心はモヤモヤしたままで、クラブを後にする。
コンビニの店員に駅の場所を聞くが、電車はまだ動いてないようでタクシーで帰ることに。
台湾人は結構極端で、めっちゃ丁寧に熱心に友好的に助けてくれる人と、「我不知道」ぐらいで終わる人といる。
今回のは前者で、仕事ほっぽりだしてタクシーの運ちゃんに話つけて、また会いにきてよ!って握手して手振って見送ってくれた。
台湾のご飯とタクシーと電車とサンダルは安い。
眠る。

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9月19日(月)

高雄が大雨っぽく、メールのやり取りをしていた台中の女性に聞くと雨は降っていないようなので、先に台中に寄って行くことにした。
夜暇なようなので、一緒にご飯を食べることになった。
台北の地下街で朝ごはん。おばちゃんが優しくしてくれた。
「好吃」と言ったら大喜びしてた。
発車まで1時間待ち、2時間かけて台中へ行く。
TRA。台湾の電車の中は寒い。17時過ぎ着。
駅前のゲストハウスにチェックイン。4人部屋、受付はホテルみたいでキレイなところ。
確か580元くらい。
女性は仕事後、家でご飯作ってから20時頃ホテルまでバイクで来てくれるようだ。
少し時間があったので台中の街をブラブラしてみた。
台中駅付近は割と廃れた雰囲気。
また迷う。
20時過ぎに彼女着。
LINEも直前に交換していたので、LINEで20分くらいやり取りしつつ、どうにかマックの前で待ち合わせることに。
マックの前に行くが、いない。
写メを送る。「どこですか??」
うろちょろしてると、道の向かい斜め右の方向から、首を傾けてこっちを覗き込みながら笑顔で近づいてくる女性が。
相手は30代でそんなかわいい人なんて来ないだろうと思っていたし、自分の前に人がいたのでその人を見てるのかと思ったけど、何だかきれいな人がどんどん笑顔でこっちに近づいてくる。
本人だった。
顔も知らないメールでやり取りしてた人と会うなんて初めて。台湾だからできた。
挨拶も早々に、ヘルメットを渡され、彼女のバイクの後ろに乗る。
すごい展開。なんだなんだ。
牛肉麺か炒飯か鍋の三択になり、何となく仲良くなれそうな鍋にした。
お店に入り、向かい合って座り、それぞれの鍋を注文する。

何を注文したかもはや覚えてないし、お互いほとんど食べる間もなくいろんなことを話した。
普段きれいな人を前にしたら緊張してしまいそうだけども、言葉が完全に通じないからかどんどん話せる。頑張って話さないとコミュニケーションが取れないのだ。
彼女はある程度の日本後は話せ、こっちの話す大体のことは理解できているっぽいけども、たまに伝わらなくて、そういうときは英語を使う。でも彼女はあまり英語ができないようで、頑張って中国語も使う。
気づけば僕らは、3ヶ国語を使って必死にコミュニケーションを取っていた。

日本が好きで、日本には3回旅行で行ったことがあるらしく、今は台中で日本語の勉強もしている。
日本で料理の勉強をしたいみたい。来年の1月か2月から、もしかしたら日本にワーキングホリデイで1年間行くかもとのこと。
東京か神戸か大阪か福岡。

このお店は先払いだったらしく、ちゃっかり彼女が払ってくれていた。
店を出て、近くの小さい夜市に行く。
タピオカミルクティー的なやつを買い、2人で飲みながら歩く。
こんなデートみたいなことしたのは、どれくらいぶりだろう。
鳥の足売ってる店に行ったり、臭豆腐美味しいんだよ~みたいな話したり。
何だかいちいちかわいいし、優しい。
本当に純粋に優しい。こっちも優しくなれるし、素直な気持ちになれる。素直に笑顔になれる。
こんな人間だっただろうか自分は。
出会ってまだたったの3時間。
次の日早いらしく、ホテルの前までバイクで送ってくれた。
2,3分話し、「またタイミングあったら会おう」と伝え、別れる。

ホテルに戻り、彼女のオススメの碳烤雞排をかじり、フルーツビールを飲みながら一日を思い出す。
この日の自分のメモにこんなことが書いてあった。
「好きとかじゃないけど、いや、今いる人類の中では一番好きかも。この旅の中でもう一度会いたい。」

激動の3時間。
急激に動き出した台湾3日目。

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9月20日(火)

ゲストハウスで朝ごはん。ほぼホテルみたいなところ。
朝起きたらLINEが届いていた。
「おはよう!碳烤雞排が好きですか」

外に出ておじいちゃんがやってる靴屋でサンダルを購入。100元。
台湾のサンダルは革製が多くていい。多分暑いから履き心地を重視してるんだと思う。
元々調子の悪かったキャリーバックの持ち手がぶっ壊れ、折りたたみ傘をひっかけて引っ張ることに。
何故か彼女にはまた会える気がしたので、台中を離れ、台南と高雄に行くことにした。
電車でまず台南に。やはり電車は寒い。
学んでいたので、シャツを羽織る。

その後も何度かLINEが届く。
「こんにちは!昼御飯は何を食べた?」

「仕事が終わった。いい天気です」

「今天有去哪玩嗎?」

何となく気にしてくれてる気がしたので、僕はこう送る。
「もし今週また暇があったら台中で会いましょう!」

「いいですよ。金曜日と土曜日は休みです」

土曜日の早朝、台北から飛行機に乗らなければならなかったので、次の日が休みの木曜日に会うことにした。

やはり会える。また会える。

台南に着き、折りたたみ傘が折れる。
かついだ。
台南は、台北・台中と比べてもぐっと暑い。
台北と台中では暑さはあまり感じなかったが、台南はムワッとした。
予約はしないまま、調べたゲストハウスを目指す。
迷う。
いろんな人に聞きながら、16時頃ようやく到着。
2人の若い女子スタッフが出迎える。
日本語はほぼ通じない。
英語でやり取り。
一緒に泊まるスペイン人と20時頃夜市に行くようなので、同行することにした。
いろいろ喋ってると、日本人女子が現れる。
彼女もここに泊まっているらしい。まだ19歳。自分の年齢と比較し、ちょっと引く。
その後もぞろぞろ集まり、台湾人・スペイン人・日本人みんなで夜市に向かう。
タクシーとバイク。
結構大きい夜市。週に3回は開かれてるらしい。
すげえな台湾人。
日本よりも外の文化だ。よく店の外に席もあるし、そこら中で屋台が出てる。
暑いのに何でだろう。

みんなで買っては分け合い、いろいろ食べた。
その後、スペイン人がBARに行きたいといい、何故かオシャレなBARにたどり着く。
このスペイン人、おっさんかと思ったら2つ年下だった。
最後残ったのは、31歳のスペイン人と、32歳の台湾人と、33歳の私。
初対面の国の違う男3人で英語で話しながら薄暗い台湾のBARで飲む。
なかなか面白い状況だ。
あんま言ってること分かんなかったりしたけど、2人ともいいやつだった。
1時頃タクシーでゲストハウスに戻る。

なんか海外の一人旅っぽい一日。

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9月21日(水)

午前11時チェックアウト。
昨日屋上で干していた洗濯物をとりこむ。
男の台湾人は起きたらいなくなっていて、スペイン人は起きたと思ったらいなくなっていた。
19歳の女子と2人。彼女も高雄に行くらしく、一緒に行こうと言われ、ちょっと迷ったが行くことに。
33歳と19歳の日本人男女が2人、共に高雄に向かう。
ゲストハウスでもらったビニール袋を引っ掛けキャリーバックを引っ張る。
駅で弁当を2つ買い、電車で食べる。
彼女は19歳だけど19歳な感じはなく、いろいろとお互いのことを話しながら高雄へ。
近くにIKEAがあるらしく、一緒に行くことに。
壊れたキャリーバックと同じキャリーバックを購入。
何故か日本の倍くらいした。3490元。
そのあとIKEAの隣のスーパーに行き、アップルサイダーと鳥の足とハチノスを食べる。
なんか最初歳も離れてたしちょっと話しにくかったが、気づくと仲良くなっていた。
サンダル3足目を購入。
一人旅であんまり日本人同士一緒にい過ぎもよくないなとお互い思い、ここで別れる。

キャリーバックを引っ張り、歩いて高雄に戻ることにした。
今回の旅で観光地っぽい観光地は、淡水以外ほぼ行かなかった。
観光地より、台湾の街を、台湾の暮らしを知り、見たかった。
どのくらいの距離があるか分からなかったが、真っ直ぐ行けば着くことが分かり真っ直ぐ歩く。
が途中、左に海の気配がし、曲がってしまい、迷う。
ようやく辿り着いた海の手前には柵がたてられ、海にも触れられなかった。
デパートに行き、道を聞く。
informationの女子4人がかりで道を教えてもらい、駅に向かうことに。
高雄駅は相当遠いらしく、一番近い駅を教えてもらった。
ついでにゲストハウスも調べてもらった。
どんなゲストハウスか分からなかったが、そこに向かうことにした。
デパートを出て、歩き、迷う。
本当に道がだめだ。
気づくと夜市に辿り着いていた。どこにでもあるな。
道沿いにずらりと屋台が並ぶ。
屋台のおっちゃんやコンビニの男に聞き、ようやく駅へ。
高雄のロッカーに置いたキャリーバックと、新しいキャリーバックの荷物を入れ替え、古いものはゴミ箱に詰め込んだ。
ロッカーの開け方よくわからず、優しい男性に助けてもらった。いいやつ。

ゲストハウスの最寄り駅に着く。
雨。
雨の中、ゲストハウスを探す。
迷う。
屋台のおじさんが熱心に調べてくれて、どうにかたどり着く。
予約はしていなかったが、チャイムを押す。
英語で返事が。
「reservation?」的なことを聞かれたので「No」と答える。
「うちは、reservationが必要だ」的なことを言われ、ちょっと諦めかけるが、「Japanese?Korean?」と聞かれ「Japanese」と答えると、「あ、日本人ですか」と日本語で話し始めた。
「ひとまず開けますね」となりドアが開き、5階までのぼる。

ドアが開き、好青年風の男性が現れた。
中に入り話を聞くと、どうやら今は普通のゲストハウスではないらしく、完全予約制の宿泊施設のようだった。客も誰もいない。
でも今回は特別に泊めてくれることになった。
部屋を掃除するから外でご飯を食べて待っててほしいと言われ、近くに食べに行く。
よく分からぬ麺と空心菜を食べ、戻る。
ここから2時間くらい話し込んだ。
すごいいいやつだった。
歳は2つ上。
話してるうちにどんどん仲良くなり、酒飲むの?って話になり、飲み放題のクラブに繰り出すことになった。
オーナーと2人、タクシーで向かう。
なんか意外とちゃんとしたクラブで、入ろうとするとセキュリティに止められた。
「No」
どうやら半ズボンでは入れないらしい。
ぬ~ってなりながら宿泊先まで戻り、ダルダルの9分丈に履き替え、再チャレンジ。
「Good」
セキュリティが親指を立てる。
いざ、クラブへ。

いきなりテキーラで乾杯。
そこから飲み放題ということもありガツガツに飲んだ。
台湾人はおとなしいイメージだったが結構みんな飲み踊る。
割と若めの人が多い中、一緒になって踊ったりもしてみた。
何人かと話したがなかなか言葉が通じない。
日本語が通じず、英語も通じず、中国語も話せないとなると、もはやコミュニケーションが難しくなる。
二人とも結構に酔っ払い、あっという間に朝を迎える。
高雄の朝。いい朝。
2人で近くのお店で朝ごはんを食べる。
日本にはあんまりないけど、台湾は普通に外で食べる。
そこからタクシーで宿泊先に戻り、倒れこみ眠る。
彼は明日午前11時から病院と言っていたが大丈夫だろうか。
不安に思いながら眠る。

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9/22(木)

10時半頃起きる。
彼の気配はない。
準備をし11時に自分の部屋を出ると、彼が部屋から出てきた。
「病院は?」と聞くと、「まあ、なんとかなるよ」とゆったりと準備を始める。
「じゃあ、朝ごはん食べにいこっか」と言われ、「病院は?」と聞くと、
「まあ、なんとかなるよ」と言われた。
また、普通に外で朝ごはんを食べる。サンドウィッチ。
病院のことなどなかったかのように、ゆっくりと朝食を食べるオーナー。
連絡先を交換し、また必ず会おうと約束し別れる。
また台湾に行ったら、必ず会いにいくと思う。
もしかしたら今度日本に来るかもとのこと。借りは返そう。
突然の訪問だったのに良くしてくれて、最高にいいやつだった。
友達ができた。

彼にバスの方が安いしオススメだと言われ、バスで台中に向かう。
彼女に会いに。

バスで3時間。眠っているうちに着いた。
泊まるところを決めてなかったので、駅近くで探す。
この前と違うところにしようといろいろ見てみたが、ホテルとなると結構高く、しかも台中駅の周りは怪しいホテルが多く、結局前と同じところにした。
580元くらい。4人部屋。

19時過ぎに、彼女がバイクで到着。
ほんの少し遅れただけなのに、入口を出た瞬間にかけ寄ってきて、「遅れたごめんなさい~」と笑顔で近づいてきた。
再び、彼女のバイクの後ろに乗り、夜市にいくことに。
でもお腹すいたーって行ったら、少し遠いからって先に近くで牛肉麺を食べることにした。
食べるときはやはり外。台湾のご飯屋さんは飲み物が置いてないとこが多く、水も基本出ない。
ネットの情報では、置いてある場合、店の冷蔵庫から勝手に取っていいと書いてあった気がしたから、勝手に取って飲んだら、あとからあれは売り物じゃないんだよってお店の人に彼女が言われたらしく、「え~~」って二人で笑いながら、お店を後にした。

逢甲夜市に到着。
バイクを停め、2人でブラブラ街を歩く。
お腹いっぱいだったけど、彼女はどんどんいろんなものを食べさせようとしてくる。
フルーツやえび串や飲み物とか、気づくとパッとお金まで払ってしまい、出すよって言っても、「お客さまだから」って言って出させてくれない。
「お客さまじゃないよ、友達」って言っても、「今度、東京行ったときよろしくお願いします~」ってニコニコしてる。
お金貯めてるはずなのに。

しばらく歩いて疲れてきたので、ショッピングモールみたいなとこの椅子に座って話す。
日本と台湾のクリスマスの違いとか、女性の恐さの違いとか、日本語の勉強もしたり、実は普段は化粧しないんだーみたいなこと聞いたり、一緒に写真撮ったり、、、
何だこれは。
完全にデートではないか。
日本でもこんなデートっぽいことは本当に久しくしていない。

結局0時半頃まで話し、さすがに彼女が眠くなってきていたので帰ることにした。
後から知ったけど、仕事の日は朝5時とかに起きてるようだった。

今日の約束をLINEでしたとき、木曜か金曜どっちにしようかとなり、冗談っぽく「両方!」と伝えていたが、本当に両日会うのか決めてないまま、またホテルまで送ってもらいサラッと別れた。
約束はしてないけど、また明日も会える気がした。

部屋に戻り、今日のことをメモに取る。
何でこんなに優しくしてくれるのか、
誰にでもこんなに優しいのか、
日本が好きで日本から来たゲストだから特別に親切にしてるのか、
新しくできた友達として優しくしてくれてるのか。

その日のメモにはこう書かれていた。

「これはもう好きですな」

台湾6日目が終わる。

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9/23(金)

朝起きるとLINEが届いていた。
「おはようございます。悠さんは今寝ていますよね」
「良い一日を」

躊躇うことなく、もう一度会いたいことを伝える。
すると。

「いいよ!」

13時頃、再び宿泊先までバイクで迎えにくる。
お昼ご飯は、香港料理を食べにいくことに。
食べきれないくらいたくさん頼んで、今日は全部俺が出すね。
って伝えてたのに、トイレにいってる間にお会計されてた。
普通、日本では男がやりそうなことなのに、これは台湾では普通なんだろうか。

その後はデザートを食べに行った。
名前は忘れたけど、有名なお店らしく、お客さんの列もできてた。
彼女も初めてくるみたい。
まず、パッションフルーツとウーロン茶のアイスを2人で食べる。
ここはさすがに出したけど、すごい申し訳なさそうにしている。
その後、かき氷も食べようってなって、彼女はマンゴーがいいって言ってたけど、値段を見たら急に他のにしようかなーみたいになってたり、なんだろう。
「優しさ」で人を好きになったことなんて今までなかったけど、彼女の優しさはすごくきれいで、こっちも優しく純粋な気持ちにさせられる。不思議な優しさ。

大きな四角いマンゴーかき氷を、2人でザクザクして食べる。
ここでもいろいろと話す。
彼女が日本に来たとして、神戸が一番可能性が高いようだ。
東京は家賃も高いし。神戸か。
全然知らなかったけど、外国人が日本で家を借りるのはなかなか難しいらしい。
寮やゲストハウスなら大丈夫だけど、普通に家を借りるには日本人の保証人がいるらしい。
さすがにそれは無理だが、どうにかして力になってあげたいと思った。
いろいろ考えた挙句、「いざとなったらうちおいで」と気づくと口が言っていた。
彼女は笑いながら「いやいや」みたいな感じだったけど、そのときは多分ちょっとだけ本気で言っていた。
恋人であろうと友達であろうと、人と住むのなんて絶対無理だと思っていたけど、もしかして彼女とならと、そのとき少し思っていた。
そう思えたのは、彼女が台湾人だからかもしれない。
人と完全に分かり合えたことは、生まれて今まで一度もない。
本当に信頼している人はいないし、自分の全てをさらけ出せる人もいない。
他人とは、一定の距離を保って生きてきた。
これからもきっとそう。
でも彼女は台湾人で言葉が完全に通じないから、自然と一定以上の距離が保たれ、不思議とずっと一緒にいても疲れない。
通常は存在しない自然と生まれた一定以上の距離を、お互いに埋めようとお互いで距離を縮める。
この距離感がいつもはない新鮮な刺激にもなりつつ、心地がよい。
彼女を意識し始めてから、ちょっとずつ何話していいのか分かんなくなってきてしまったのだが、そんなとき必ず彼女はこちらに話しかけてくる。

夕方になり、台湾って公園少ないよねという話から、公園に行くことになった。
バイクで向かう。
大きい公園に到着すると、おじさんやおばさんが台湾の古い音楽を演奏していた。
デパートに寄り、コンビニでフルーツビールを買い、公園で座って演奏を聴く。
人もたくさん集まっていた。
明日の朝には台湾を出発する。
なんだかこの演奏が、この旅のエンディング曲のように聴こえた。

何で台湾なのか。
何のために台湾に来たのか。

これは旅のマジックなんだろうか。

このとき、その答えはもう完全にこのためだったんだと思い込んでいる自分がいた。

だんだんと暗くなってきた。
普段だったら絶対思わない。
人生でたった一度しかしたこともない。

でもこのとき思った。
もしもこのあといい雰囲気の緩やかな曲が演奏されたら、そのとき言おう。

しかし暗くなるにつれ、どんどん演奏のテンションはグイグイご機嫌な方向に上がっていく。
おじさんたちがワイワイ踊り出した。
まだ言うなってことかな。

でもこれだけは伝えた。

「我超喜歓你」

これがどんなニュアンスなのかは分からないけど、
そして発音が下手で何度か聞き返されたけど、
「ありがとー」って言われた。

21時半頃、公園を出た。
バイクを停めてある場所まで道を渡ろうとしたら、
横からバイクがきて、彼女を止める。
そしてバイクが通り過ぎた後、思わず彼女の手を握り道を渡った。

5秒。

33歳になり、それなりに恋愛経験もあるはずだけども、
この5秒は他のどんな行為よりも緊張した。

バイクに乗り、台北行きのバス乗り場に向かう。
彼女と過ごした3日間。
ずっと彼女の後ろに乗り、目の前にいる彼女をずっと抱きしめてしまわないよう抑えていた。このときもそう。
10時20分。
バス乗り場に着く。
出発は10時半。
今度こそお別れ。
明日にはもう彼女はいない。

「じゃあ、私は帰るね」と言い、帰ろうとしたとき、
僕は両手を広げた。
彼女は少し戸惑いながら受け入れる。

そんなつもりなんてなかったけど、
なんか顔がぶつかりそうになり、ちょっと変な感じになりながら、
彼女をギュッと抱きしめた。
このとき何を言ったか覚えてないけど、彼女の体を離し、
彼女が去ろうとするときに、
「I Love you!」と投げかけ手を振った。
何故か口から出たのは英語だった。

2時間かけ、台北に到着。
朝起きれないと思ったから、コンビニでカップラーメンを買いゲストハウスで食べ、
シャワーを浴びて、空港行きのバス乗り場にそのまま向かった。
ゲストハウスの人もいい人で、バス乗り場まで送ってくれた。
早朝5時半出発。

宿泊先を最初の2日とラストだけ決めたのは大正解だった。
その日の思いつきで行動できたし、もし全ての日の宿泊先を先に決めていたら、
きっとこんなことにはならなかった。
全てが予想外だったけど、全てがうまく回っていた。

久しぶりに感情を動かした。素直になれた。
3年前東京に戻ってきてから初めてかもしれない。
言いたいことを言い、行きたいとこに行き、
やりたいことをやり、動きたいように動いた。

何にも縛られず、自由に。
こんなに自由なのは本当に久しぶりだ。
でもこれでは生きていけない。
まだ台湾を全て見れたわけではないけれど、
台湾で働くというのはなかなか現実味のない話だなとも思った。
まず中国語ができないと話にならないし、
さらに中国語で仕事ができないと話にならない。

台湾に来たら、絶対にここに住みたいって思うようになるだろうな
と覚悟していたが、実際にそうはならなかった。
台湾の街にそこまでしっくりはこなかった。
もちろん嫌いじゃないし、好きだけども、日本とそんなに大きな違いはないなと。
南の方は結構空気も悪く、少し喉が痛くなったりもした。
さあ、どうしよう。
もう少し、何か決心がつくと思っていたが、これからどうするかまでは決められなかった。
さすがに一週間いただけじゃ分からないのかもだけども。

ただ今思うことは、彼女ともっと一緒に時間を過ごしてみたい。
もっと彼女のことを知りたい。

彼女にメッセージを送った。
「優しくて、よく笑ってる●●が大好きです。優しくしてくれてありがとう」

次の日、日本に到着したときに、返事が届いていた。

中身は長文だったけども、
最後にこんな一文があった。

「悠さんを思っているよ。」

彼女は1月5日、日本にやって来る。

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電話

日曜日の14時頃。
渋谷の街を歩いていると、歩から電話があった。

かかってきたときは驚いたが、以前よりも驚きは少なくなっていて、
意外と冷静に電話に出れたことに逆に驚いた。

ほんとにふとしたときに考えたりはしたけど、別れて12年。
ようやくといっていいほどほとんど考えないようになっていた。

もしこれが台湾に行く前だったらまた違ったのかもしれない。

歩きながら電話に出た。
何も話さない。
何だか雑音は聞こえる。

もしもーし。
雑音。どうやら向こうも街にいるようだ。
もしかして近くに!?

もしもーし。
返事がない。
これは、間違ってかけてしまったのだろうか。
しばらく耳をすますが、赤ちゃんのような声と雑音しか聞こえない。

赤ちゃん。

 

赤ちゃん

 

赤ちゃんだ。

そうか。赤ちゃんいたのか。

 

気づいた瞬間も思ったより冷静で、ショックなことはなく、
逆に少し安心したというか嬉しくさえなった。

そうか、結婚してて子供もいるんだ。
まあ、同じ33歳だもんね。
いて当然。

切らなきゃなと思いつつも、しばらく聞いてしまっていた。

 

ほんとにまだ小さいであろう、わずかに聞こえる赤ちゃんの声。
そして一瞬だけ小さく聞こえた彼女の声。

「もう~、返して~」

昔と変わらない口調、変わらない声。
何だか安心。

 

夜になってメッセージを送ってみた。

 

 

 

幸せに暮らしてる?

 

 

 

「うん😄」

 

 

 

おめでとう。幸せで何よりです。

良かった。幸せで。

 

 

33

結局何だかよく分からない日々が続いていて、
刺激を求めては自分の心の弱さを知り、
自分で理論付け長らく心の奥に隠し続けて弱さが
ほんのふとしたきっかけで飛び出し、
こんなにもかと驚き落ち込み悩み途方に暮れ呆れ、
この文章を書いています。

楽観楽観楽観。
どうにも楽観できない。
何も考えずには生きていけない。
考えると楽観できず、阿呆にはなれず、
真面目に生きていくこともできず、
刺激を求め、半分逃避をしているんじゃないかとも思いつつ、
現実から逃れ難しいことを何も考えずにいい環境に出向くものの、
結局そこでさえ難しく考えてしまい、疲れています。

人生で初めて会社というものに所属し正社員として働くことになったものの、
果たしてこれでよかったのか、今何を求め、どこに向かってるのか、最近よく考える。

しばらく忙しかったので考える隙もなく、
ひたすらこなしこなしこなし、いったん一息ついた今、
気づけばここがどこだかよく分からなくなっていた。

日本で生きています。
台湾は逃避だ。
本当に逃避なのか?
そこが現実の可能性はないのか。
現実はどこだ?今は夢か?
夢の国はどこだ。
夢の中で生きてはだめだ。
しかし現実は疲れる。
何だか何もかもが疲れる。
疲れないことが一個もない。
こんなに疲れてどこへいくのだろう。

相変わらず結婚にも恋愛にも興味が湧いていないことは、
本当に良かったと思っている。

分かった。あれは完全に逃避だ。
この逃避にゴールはない。
でも現実に目を向け過ぎていると頭がおかしくなりそうだ。
現実は大体のことがうんこで、逃避は大体のことがうんこ流しだ。
歩くうんこがうんこを発し垂れ流し、うんこまみれになった自分は全身に溜め込んだうんこを、ちょっとずつだけ逃避で流し、さらにうんこを補充した上で、今日もうんこJAPANで生きている。

今年中に台湾に行こうと思う。
どれだけうんこを流せるのか、それともさらなるうんこを溜め込むのか、
見極めなければならない。

どんどん美味しいご飯に興味がなくなってきて、
どんどん脳みそが死んでいっている。
夏は暑くて、朝は眠い。
ごまかしながらごまかしながら、まともを装い社会に住んでいる。
まともが疲れの原因なのか?
まともでいるのは本当に疲れる。
まともじゃない人間がまともを演じるのは本当に疲れる。
本当はとち狂って生きていきたい。
でもとち狂えないで生きているということは、やはり自分はまともな方なんだと思う。
制御ができてしまう。ただ制御が下手でどこまでまともぶればいいのか混乱してしまう。うまくいかない。まともになり切れない。きっとなり切りたくもない。
まともを装う楽しさは気づけばとっくになくなっていて、
うんこ社会に呑まれ、クソ東京にまみれ、
中途半端な都会うんこ人間が出来上がってしまっていた。
こんにちは。
すげえな。
33だぜ。これで。
やべえな。
 
 

でもいいな。
こんな人生わけ分かんないんだったら、まだ終われない。
まだまだ生きていける。
 
 

私生活の充実が、優しい心を生む。
気が急にしてきた。
充実させよう。

心に余裕を。

精神に安定を。

人生に刺激を。
 
 
 

むずい。
 
 

2015

 

一年が経った。

東京に戻り、気付かぬうちに二年を超えていた。

 

「2015年。
まず、いっぱい考える。
来年はとことん考える。
考える事で、一年を長くする。
考え、そして行動に出る。
来年中に一つ大きく動く。」

と、一年前の自分が言っていた。

 

考えようとはした。
考えてもみた。
でも、答えが1つも出ない。

一年は圧倒的に早く、考えようにも頭が動かない。
これが東京。

一体、自分はどこに向かうのか。
未だに一人。同志は現れず。

 

何だかずっと怯えている気がする。
藤野で暮らしていた頃、怖いものなんて何もなかった。
寒さ、闇、貧困、孤独、害虫。
怖くともそれを楽しめる心の余裕があった。
今は、何も楽しめていない。
心に余裕がない。
ほんのちょっとしたことにさえ、怯えて足がすくんでしまう。

どうしたら東京で自由な心で生きていけるんだろうか。
東京に戻ってきてから一度も頭を使っていない気がする。
いや、頭は使っているが、あっち側の、自分が本来使うべき頭は一度も使えていない。あっち側の頭は封印され、まとも側の頭が必死に無理矢理使われている。
これでは東京に来た意味がない。
もはや来た意味も分からなくはなってきている。
でも来たからには来た意味を作らなければならない。
でないと、この2年が無駄になってしまう。

32歳。
なかなかな年齢になってきた。
皆、まともに働いている。
大体の人は結婚した。
自分は未だに、恋愛にすら遠ざかっている。

いや違った。
2015年、一瞬危なかった。
一瞬、心が動いてしまったのだ。
動いた心はやはり自分をおかしくさせた。
危ない。
恋なんてしている場合じゃない。
しかし最近、恋愛映画ばかり観ている。
台湾の。

何年前からだろうか。
台湾がずっと心の奥で気になっている。
台湾の人間が好きだ。
関わったことはないし、行ったこともないが、
何故かずっと心が意識している。
人間は顔に出る。
台湾の人間も顔に出ている。
台湾人はいい人間だ。
台湾映画を観ているうちに、台湾への想いが日増しに強くなってきている。
根拠はない。顔だけだ。

そんな中、先週、台湾華語を習いに行った。
勉強&交流会。
初めて台湾人と話した。
やはりいい人間だった。
特別どうということはなかったのだが、台湾人と向こうの言葉で会話がしたい欲が出てきた。あと台湾料理が口に合った。
これから毎週参加する予定。

 

「2015年。
まず、いっぱい考える。
来年はとことん考える。
考える事で、一年を長くする。
考え、そして行動に出る。
来年中に一つ大きく動く。」

大きくではないが、
この最後の一行が、2015年ギリギリで達成された。
これが何に繋がっていくのか、何の為に覚えるのか、何故台湾なのか。
今は分からないが、きっと大きな意味が生まれてくる気がする。
いつか台湾に住むのかしら。

 

 

2015年も全国いろいろと行った。
新しい場所はなく、仙台つくば宇都宮横浜大阪岡山鹿児島沖縄を
行ったり来たりしていた。
もう何回どこに行ったかすら覚えていない。
何度も考え文章にも残そうとはしたが、どうにも頭も手も動かない。
動かすほどのことがなかったのかもしれない。
来年は少なくとも3回は書きたい。
書くだけのことをしていかなければならない。
それだけのことを起こさなければならない。
人には期待せず、自分で動くしかない。

どう動くか。
どう動きたいのか。
まずはそこから。
今は何もない。

 

みんな、元気かしら。
みんなって誰だろう。
私は元気ではないですが、これを書いているうちにだんだん元気になってきました。

元気は大事なのかもしれない。
暗い顔をしている人間の元には何も集まってこない。
元気を出そう。
勇気を出そう。
力を出そう。
感情を出そう。
東京に吸い取られないように、必死に。

そしてちゃんとお金を貯めよう。
給料が上がった。
ちゃんと働き、ちゃんとお金を貯め、ちゃんと生きよう。

 

ものすごいまともなことを言っている。
でも今はまずはここなんだと思う。
まともに生きれるようになって、ようやく逸れることができる。
今は、まとも以下。

 

東京でまともに生きるということがどんなに大変なことか
この2年で思い知らされた。
東京は全てを吸い取る。
感情もやる気も勇気も元気もお金も。
どうすれば吸い取られないか。

この答えはまだ出ていない。
今思いつく方法としては、「逃げる」くらいだ。
しかし、一度逃げ戻ってきたからには、そう簡単に逃げ出す訳にはいかない。
このまま負け続けは悔しい。
一度は東京にギャフンと言わせなければならない。
東京は強い。
日本最強だ。

ここで一生、生きていくつもりはサラサラないが、
一生東京に引け目を感じて生きていきたくもない。

 

あ、仲良くなるという方法もあるのか。
ただ、一度別れた二人は、そう簡単にはやり直せない。
彼女は1300万股しているし、僕は他国の女と距離を縮めようとしている。
でも向き合わなければ。
ここで生きている以上、彼女のことを無視はできない。
しっかり向き合って、話し合ってから、結論を出そう。

 

2016年は、勇気とマトモと台湾と貯金と感情。
5つのうち3つくらいは達成できたらよいな。

いや、欲張ろう。

 

10こだ。