早くも終わりそうになってきた。
ハケンダーが出てきたので、
久しぶりに日雇いの派遣のバイトに行ってきた。
20時~翌朝6時の10時間。
往復3時間かけて、
交通費1140円を費やし、
ひたすら10時間、
印刷物をベルトコンベアーに流した。
頭がおかしくなるかと思った。
こういった作業が一番苦手だ。
自分が一体何なのだか分からなくなる。
何故だか鼻水も止まらなくなり、
とてつもない眠気とひたすら戦い、
ひたすら両の足で立ち尽くし、
私は機械となった。
今、家に帰ってきて、
100円のカップラーメンみそ味を食べている。
ようやく人間に戻れた。
冬のみそラーメンはうまい。
夏は食べたくならないのに。
季節は不思議だ。
家の中が本当に寒い。
外より寒い気さえする。
東京の真冬で吐く息と同じ類の息が今家の中で出ている。
鼻息も白い。
冬がやって来ている。
今度は、冬を乗り越えなくては。
何だか乗り越えるものが多いな。
自分で選んだのだった。
そして、皆そうか。
相変わらずのクソ生活を送っている。
このままじゃいけないと三日前、派遣のバイトの登録に行ってきた。
以前登録した派遣会社は、仕事場が遠いものが多く、
結果、2回しか入れていなかった。
しかし今回のは、さらに遠いものが多い。
八王子で登録したのだが、 仕事先は千葉や埼玉や横浜など遠方ばかり。
結局、特に今までと変わっていない。
10月11月の目標は、「金を稼ぐ」だったが、
結局1円も稼げないまま、11月を終えようとしている。
さらにもう一つ、派遣会社に登録すべきだろうか。
飲食にも求められていなかったが、
派遣会社にも求められていないということなのだろうか。
とにかくあれこれ考えている暇があったら何かしなければということで、
昨日からマンガのようなものを描き始めた。
『10体のロボット』
完全に響きのみで決められたタイトル。
長編の予定である。
心が行ったり来たりしている。
ここ四日間、ゴミ出し以外、一切外に出ていない。
ちょっろとマンガを描いてみたり、PCで画を描いてみたりはしたものの、
ほぼ何もできていない。
飽きてはいけないのだが、アルバイト探しも少し飽きてきてしまった。
本当にバイトをする以外、方法はないのだろうか。
何か。何かを見逃しているような気がする。
ひとまず来週は、以前登録して結局まだ2回しか行っていない、
日雇いの派遣のバイトにいこうかと思っている。
寒いのでなかなかしんどいが、 この後さらに寒くなっていくことを考えると、
今、頑張っておかねばならないのは確かだ。
というか、僕以外、全員が頑張っているのだ。
今もとても寒い。
家の中でも、気温はもう一ケタ。
夕方を過ぎると、家の中で上着を着てブランケットにくるまり過ごしている。
当然、家の中でも息は真っ白だ。
さてどうすべきか。
先のことは考えたくないが、そうも言っていられなくなってきている。
先のことを考え出すと、今を思い切り生きれなくなってしまう。
しかし、考えなければ。
もっと、無茶をしたい。
何かしたい。
やりたいことが多過ぎる。
でも何もできていない。
金が欲しい。
どう稼ごう。
どう折り合いをつけよう。
やはり我慢は必要なのだろうか。
もっと生きろ。
考えるな。
考えろ。
動け。
心がまとまらない。
これという答えが見つからない。
自分がどうしたいのか。
自分がどういう人生を送りたいのか。
もっと向き合おう。
こんなにも時間はある。
もっと自分を見ていこう。
もっともっと。
考えるな。
考えろ。
僕は今、
どこに向かい、
何を見ている。
何を。
何を見ている。
今日は、短期で募集していた看板作りのアルバイトに申し込んでみた。
しかし、また締め切られていた。
もっと早く行動しなくては。
現状では、短期のアルバイトをたくさんやってみたいと思っている。
本当にやりたい仕事でなければ、途中で飽きてしまう恐れがあると思ったから。
そして、いろいろなことを体験してみたい。
もうオジサン目前だが、まだ落ち着いてなるものか。
アルバイトに応募して29歳という年齢を言う度に、
「うっ」と、一瞬心が痛む。
しかし、「30歳」という響きに比べたら、 だいぶマシである。
一年後も同じ状態であったら、精神的にかなり厳しい戦いになるだろう。
でも負けない。
響きなんかに負けない。
しかし、ダラダラしていてはダメだ。
結局、今日も特に何もしていない。
人生は驚くほど短い。
無駄な時間など、過ごしている暇はない。
分かっている。
分かっているのに、繰り返してしまう。
これでは、引き籠りのニートと同じだ。
いや、引き籠りのニートだった。
今日も、ゴミ出し以外に家を出ていない。
急がなければ。
急げ。
急げ。
急げ。
朝、ゴミを出しに家を出ると、辺りは雲だらけだった。
正しくは、霧(きり)や靄(もや)というのかもしれないが、
僕の目で見る限り、それは明らかに雲であった。
朝7時を回り太陽が昇ってくると、それらは姿を消す。
大体、雲が現れるのは、朝6時から7時の1時間。
ごくたまにこの状態になるのだが、今日のは特にすごかった。
恐らく冬は、毎日のようにこの状態になるのだろう。
この時間の外は、本当に心地がよい。
今日も一日生きていこうか。
という気分になる。
しかし、僕は今から寝る。
またいつの間にか、生活が逆転してしまっている。
ここ最近、のらりくらりと生きてしまっているからだ。
これはいけないと、飲食店に導かれていないのだと悟った僕は、
昨日、 カメラマンのアシスタントのバイトに応募してみた。
しかし、それも既に締め切られていた。
こうして、どんどんと追い詰められていく。
しかし、ここからが面白い。
自分でどうにかしなければ生きていけないこの状況。
この状況を、存分に楽しんでいく。
追いつめられることは、なかなか意図しては成し得ない。
「追い詰められてたまるものか」という意志に反すことによって、
人は追い詰められていく。
さあ、もっと足掻こう。
何をやってもいいのだ。
人生は、何をやってもいい。
僕は、何のバイトをしてもいい。
何だか、いろいろなことを経験してみたくなってきた。
起きたらまた、何かに応募しよう。
僕は今、雲の中にいる。
このWebサイトの名前を「全て」にしたのは、ほんの思い付きだった。
Webサイトの名前、何にしようかな~
…「全て」!
この間、約5秒。
始めは特に意味もなく、本当にただの響きだけでというか、
半年ほど前のそのときに、頭にポンと浮かんだだけの言葉。
基本、僕は考えない。
仕事のときは、いろいろなことを踏まえなければならないので
ものすごい考えていたけれど、 今は何も踏まえる必要がないので、
何かを生み出すときは基本考えない。
ほぼ思い付き。
そして、ほぼ即興。
考えれば考えてしまうほど、 生み出されるものが、
自分とは直結しないものになっていく気がしてしまうのだ。
そして、何よりも自分の直感を信じたいし、その即興感をさらけ出していきたい。
さらにもう一つ自分自身が信じるものとして、 「完成能力」というものがある。
言い換えると、修正能力や、後付け能力となるのかもしれない。
基本、失敗をしないのだ。
いや、失敗はする。
ただ、その失敗を失敗でなくすることができる。
あくまでも自分の中でだが、
この生活を始めて、恐らくボツにしたものが一つもない。
例えば、僕は画が下手なので、
画を描いているとにじんでしまったり、ズレてしまったり、
思っている通りに描けないことが多々ある。
しかし、その失敗を利用して、画を完成させていく能力がある。
それは、常に完成図の見えていない状態で即興で描いているからであり、
失敗して当然だと思っているから失敗を恐れていないからであり、
必ず修正できるという不思議な自信があるからである。
文章を書くときも、何も考えずポンとタイトルを決めれば、
その文章を完成させられる自信がある。
当然、この文章もどう書こうか考えずに書き始め、
どう締めくくるか考えないまま書いている。
「全て」という言葉も同じ。
普通に考えれば、特に珍しくもないよく見る言葉だ。
しかしそのときの僕は、一瞬でこの言葉が好きになり、
一瞬でこの言葉の可能性を感じ、
後付けで、この言葉に意味を持たせていこうとしている。
直感は間違っていなかった。
僕は、芸術家ではない。
芸術という言葉すらよく分からないし、
芸術という言葉に縛られたくもないし、
芸術に自分というものが、かっちりと当てはまらないとも思っている。
そもそも、芸術的なものを作りたいと思っていない。
では、自分は何を作っているのだろうか。
「作品」。
少し違う。
そんな、大それたものではない。
いや、自分の中では大それてはいるのだが、「作品」と呼ぶにはおこがましいだろう。
それほど気高いものでもない。
作品ほど、ビシッとしていない。
そして「作品」という言葉にも、収まりたくないという気持ちもある。
「作品」という言葉では、言い表し切れていない気がするのだ。
そこで、ものすごいしっくりくる言葉として、「全て」というものがあった。
サイトの名前を「全て」にすることは半年前から決めていたが、
これに気付いたのは、ここ最近。
自分は何をやっているのか?
自分は何を作っているのか?
自分の肩書は何なのだろうか?
自分は何をしたいのか?
それら全ての答えが、「全て」だった。
自分は、「全て」をやっている。
自分は、「全て」を作っている。
自分の肩書は、「全て」だ。
自分は、「全て」をやりたいのだ。
「全て」と言っても、「この世の全て」という意味ではない。
自分の中の「全て」。
自分の可能性の「全て」。
自分の今の「全て」。
いや、そういった「全て」を説明する言葉すらいらない、「全て」。
もう、「全て」という言葉だけで、全てが成り立っている気がしたのだ。
といったように、この「全て」という言葉も、
完成能力という名の後付けにより、意味を見出すことができる。
とても人には理解し難いと思う。
何を言っているんだと思われていると思う。
でも、それでいい。
今は、それでいい。
いつか、思い付きで決めたこの「全て」という言葉に、
さらに大きな意味が出てくることになる。
出てこさせなければ。
もっと、「全て」を生み出していかねば。
アルバイトをどうしよう。
アルバイトに3つ落ちた。
全て、バーや焼き鳥屋などの飲食店。
恐らくの理由としては、
「住んでる場所が遠い」、
「長く続ける気がなさそうだ」、
「29歳にもなってアルバイトって…」、
「見た目がとても怪しい」、
「面接に髭を生やしてきやがって」、
「社会不適合者なんじゃないだろうか…」、
「言っていることがよく分からない」、
「日本語が不自由だな」、
「キチガイかもしれない」、
などであろう。
僕は、間違っていた。
僕が選んだバイト先は、全てカウンターがあり、
お客さんと対話できるお店であった。
それは、普通の接客業ではきっと耐えられないと思ったので、
アルバイトの中にも楽しさを求めてしまったからだ。
そもそもそれが間違っていた。
楽しさから離れ、楽しさに限界を感じ、この生活を始めたはずなのに、
また自分は自然と楽しさを求めてしまっていたのだ。
違う。
そうではない。
3つのバイトに落ち、気付かされた。
安らぎを求めてはだめだ。
もっと自分を追い詰めて生きなくてはだめなのだ。
アルバイトにも意味を。
アルバイトの中でも生きなければ。
では、どうすればいい。
二択だ。
完全にお金のことだけを考えて、「作る」ためだけに働く。
「作る」ためになるアルバイトをする。
新たな刺激を求め、全く未知なるアルバイトをする。
アルバイトをしない。
四択だ。
ただ3つのアルバイトのうち、1つは少し待ってほしいと言われている。
これは断わられた可能性が高いが、本当に少し間を空けたいのかもしれない。
まだ分からない。
五択だ。
ただ結果は決まっている。
自ずと導かれていくはずだから。
しかし、そうも言っていられない。
金がないのだ。
そしてこのタイミングで、Webサイトが完成した。
これは、何を意味しているのだろう。
きっと意味がある。
意味は自分で作るもの。
意味は自然と作られていくもの。
二択だ。
このサイトにも、きっと意味がある。
このサイトにこそ、意味がなくてはならない。
しおりさん、サイト制作ありがとう。
このサイトに全てを残してゆきます。
さあ、この追い込まれた状況を必死に楽しんでゆこうか。
アルバイト募集中。