このWebサイトの名前を「全て」にしたのは、ほんの思い付きだった。
Webサイトの名前、何にしようかな~
…「全て」!
この間、約5秒。
始めは特に意味もなく、本当にただの響きだけでというか、
半年ほど前のそのときに、頭にポンと浮かんだだけの言葉。
基本、僕は考えない。
仕事のときは、いろいろなことを踏まえなければならないので
ものすごい考えていたけれど、 今は何も踏まえる必要がないので、
何かを生み出すときは基本考えない。
ほぼ思い付き。
そして、ほぼ即興。
考えれば考えてしまうほど、 生み出されるものが、
自分とは直結しないものになっていく気がしてしまうのだ。
そして、何よりも自分の直感を信じたいし、その即興感をさらけ出していきたい。
さらにもう一つ自分自身が信じるものとして、 「完成能力」というものがある。
言い換えると、修正能力や、後付け能力となるのかもしれない。
基本、失敗をしないのだ。
いや、失敗はする。
ただ、その失敗を失敗でなくすることができる。
あくまでも自分の中でだが、
この生活を始めて、恐らくボツにしたものが一つもない。
例えば、僕は画が下手なので、
画を描いているとにじんでしまったり、ズレてしまったり、
思っている通りに描けないことが多々ある。
しかし、その失敗を利用して、画を完成させていく能力がある。
それは、常に完成図の見えていない状態で即興で描いているからであり、
失敗して当然だと思っているから失敗を恐れていないからであり、
必ず修正できるという不思議な自信があるからである。
文章を書くときも、何も考えずポンとタイトルを決めれば、
その文章を完成させられる自信がある。
当然、この文章もどう書こうか考えずに書き始め、
どう締めくくるか考えないまま書いている。
「全て」という言葉も同じ。
普通に考えれば、特に珍しくもないよく見る言葉だ。
しかしそのときの僕は、一瞬でこの言葉が好きになり、
一瞬でこの言葉の可能性を感じ、
後付けで、この言葉に意味を持たせていこうとしている。
直感は間違っていなかった。
僕は、芸術家ではない。
芸術という言葉すらよく分からないし、
芸術という言葉に縛られたくもないし、
芸術に自分というものが、かっちりと当てはまらないとも思っている。
そもそも、芸術的なものを作りたいと思っていない。
では、自分は何を作っているのだろうか。
「作品」。
少し違う。
そんな、大それたものではない。
いや、自分の中では大それてはいるのだが、「作品」と呼ぶにはおこがましいだろう。
それほど気高いものでもない。
作品ほど、ビシッとしていない。
そして「作品」という言葉にも、収まりたくないという気持ちもある。
「作品」という言葉では、言い表し切れていない気がするのだ。
そこで、ものすごいしっくりくる言葉として、「全て」というものがあった。
サイトの名前を「全て」にすることは半年前から決めていたが、
これに気付いたのは、ここ最近。
自分は何をやっているのか?
自分は何を作っているのか?
自分の肩書は何なのだろうか?
自分は何をしたいのか?
それら全ての答えが、「全て」だった。
自分は、「全て」をやっている。
自分は、「全て」を作っている。
自分の肩書は、「全て」だ。
自分は、「全て」をやりたいのだ。
「全て」と言っても、「この世の全て」という意味ではない。
自分の中の「全て」。
自分の可能性の「全て」。
自分の今の「全て」。
いや、そういった「全て」を説明する言葉すらいらない、「全て」。
もう、「全て」という言葉だけで、全てが成り立っている気がしたのだ。
といったように、この「全て」という言葉も、
完成能力という名の後付けにより、意味を見出すことができる。
とても人には理解し難いと思う。
何を言っているんだと思われていると思う。
でも、それでいい。
今は、それでいい。
いつか、思い付きで決めたこの「全て」という言葉に、
さらに大きな意味が出てくることになる。
出てこさせなければ。
もっと、「全て」を生み出していかねば。
アルバイトをどうしよう。