ここまでの流れ↓
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続き↓
6/16
友人ジローくんにWebサイトのページを1つ追加してもらうため、
ジロー&ルンHOUSEへ。
物凄い手さばきで、あっという間に「音楽の全て」ページの土台ができた。
そしてルンちゃんの手作り山盛り料理をごちそうになり、
さらに泊めてもらい、翌日そのままバイトへ。
してもらってしかいない。
ここは自分の家の次に居心地がいい。
いや、自分の家はムカデがあれなので、よく考えるとあまり居心地はよくない。
冬は寒いし夏は暑い。
つまり自分の家より居心地がいいかもしれないという場所。
二人には定期的に会いたくなる。
別に何をするというのではないけれど、会うだけで心が潤う。
二人ともが無理して生きていないところがすごくいい。
都会に生きながら無理せず生きていくのはなかなか難しい。
最近、人に会いたいと思うことがたまにある。
人と遊びたいのではなく、会いたい人に会いたい。
そうか、そう考えると、遊びに対する違和感もなくなる。
楽しくなりたいから人と遊ぶのではなく、その人に会いたいから遊ぶ。
なるほどそういうことか。みんなそうして遊んでるのかもな。
6/17
夜から朝までバイト。
日雇いなので毎回メンバーは違うが、
回数を重ねるごとにだんだん同じ人に当たるようにもなってきた。
一人苦手な人がいる。避ければ避けるほどその人との距離が近づく。
仕事でも遊びでも学校でも、この人さえいなきゃ楽しくできるのにと思ってしまう
ことがある。その人がいるだけで苛々してしまい、嫌だと思えば思うほどその人の
存在が気になってしまい余計苛々してしまう。
皆、自分がこう思う人にはどう対応しているのだろう。
そんなに気にしてなく、自分がいろいろなことを気にし過ぎなのだろうか?
何だか、自分がものすごい短気な人間に思えてきた。
これもきっと社会とうまくやっていけない原因の一つなのだろう。
これをクリアしないと、社会ではうまく生きていけない。
そして自分が、誰かにとっての「苦手な人」になっている可能性も
忘れてはならない。
6/18
ムカデが出た。
今年7匹目。今年は減ったか?と油断していると現れる。
ピークはこれから。今年もよろしく。
その後、夜から朝までアルバイト。相変わらず往復4時間かけ働きにゆく。
苦手な人とまた同じ現場。
これをクリアしないと先には進ませないということだろうか。
バイトでは、同じバイトの人とはなるべく親しくならないようにしている。
必要なこと以外は基本自分からは話しかけない。
気の合わない人と行動を共にしたり、一緒に帰ったりするようになるのが
しんどいからだ。
苛々の原因をなるべく増やしたくない。
これは逃げだろうか。
これは逃げだ。
逃げてばかりだ。
こんな人間は社会にはまだ早い。
逃げるのにも疲れた。
戦うのにも疲れた。
何もしていないのに、疲れてばかりだ。
生きていくのは、大変疲れる。
6/19
小学校の同級生に呼ばれ、往復4時間かけ新橋へ。
男女6人。17年ぶりに会う人もいて、皆いろいろな人生を歩んでいた。
子供が2人いたり、離婚していたり、3人目がお腹にいたり。
そんな中、無職で日雇いのアルバイトをしている自分をどう思ったのだろう。
皆、東京に生きていた。
いろんな悩みもありつつ、楽しそうに生きていた。
久しぶりということであまり変なことは言わず、
なるべくワイワイしようと頑張ったが、
思った以上に皆ワイワイしていて、少し疲れてしまった。
でも懐かしい話もたくさんできて、相変わらず皆バカで、
素直に再会できて嬉しかった。
金がまずい。
今月は結構働いていると思っていたが、自分の「結構」は、
感覚がおかしくなっているだけで、普通に考えたら大して働いていない。
またギリギリだ。
そして、4日連続で外出するという、一般的に考えたら至極当然なことも、
今の自分にとっては異常な行動。
頭が疲れている。
あと、お酒がやはり体に合わなくなってきている。
酔っ払うということが、頭と心にしんどさをもたらす。
翌日の朝、ゴミを出しに家のドアを開けると、
隙間からムカデが落ちてきた。
8匹目。
「よろしく」と言ったものの、ペースが早い。
ムカデも人も、会うのがたまにだと、疲れなくていい。
隙間を塞いだ。
このドアは、自分の心のドアと繋がっているような気がする。
今月は働いている。
このままいくと、10万円を超えそうだ。
力仕事はなかなかしんどいが、作業自体は耐えられるレベルのしんどさ。
何よりきついのは、集団の一部に成り下がるということ。
要は、精神とプライドとの戦いである。
個性は求められず、誰にでもできる作業をし、
学生のような若者たちと共に、集団の一部として扱われる。
ラジオという、他人を通しての表現でも物足りなくなってしまった自分に、
自我を抑えて行動をするということは、なかなか過酷である。
しかし生きるため。
抑え。抑え。抑え。
生きている。
いつまで抑えきれるだろうか。
脳みそを使いたい。
脳みそで働きたい。
脳みそをお金に変えたい。
脳みそで生きたい。
脳みそ、頭、発想、才能、感覚、個性、能力、魂、奇抜さ。
こんな生活をしていてもなお、プライドというのは捨てきれない。
というか、この生活にだんだん飽きてきた。
違うことがしたい。
今までにやっていないこと。
突拍子もないこと。
人が、「は?何で?」と思うようなこと。
僕は少し病気で、
「それは言っちゃ駄目でしょ」とか「それはやっちゃ駄目でしょ」
というようなことを、分かっていながら、
「えい!」とやったり言ってしまったりすることがある。
それで失敗したことも多々あるが、
もう、どうしようもなく我慢できなくなってしまうのだ。
やるかやらないか散々迷ってるときに、「えい!」とやってしまい、
その全てから解き放たれる開放感に、快楽を覚えているのだと思う。
この生活を始めたのも、その一つ。
「えい!」と仕事を辞め、「えい!」と都会を離れ、
「えい!」といろんなことをやめ、いろんなことを始めた。
その「えい!」が、最近足りない。
完全なる「えい!」不足である。
ひとまず6月は耐え、働く。
7月に動き始め、迷い始める。
そして8月に、「えい!」。
の予定。
そしてこの予定をもぶち壊す「えい!」ができたら、とても最高。
さて、何を「えい!」しようか。
いい「えい!」が、できますように。
太郎さん映像が完成した。
本当はまともな映像ソフトが手に入ってから作りたかったが、
当分入る見込みはないので古いフリーのソフトで編集してみた。
別にインタビューを撮るつもりはなく、画を描くつもりもなかったが、
これは残しておくべきだとそのとき思い、回しておいた。
このカメラは7分ずつぐらいしか撮れず途切れ途切れだが、
2時間くらいはカメラを回しつつ話をしたり聞いたりしていたと思う。
それを無理やりまとめた三部作。
以前も書いたが、太郎くんは
今まで出会った人間の中で最も自分と考え方が近い人間だと思う。
今まで誰に言っても理解も共感もされなかった言葉を、他人の口から聞ける喜び。
大体の言っていることは分かるし、共感もするし、
全く同じことを考えていたりもする。
ただ少し違うところがあったのは、
彼の場合、それを徹底しているということ。
同じことを考え同じような行動をしていても、
僕の場合どこかに迷いがあり、その考えに徹しきれていないところがある。
それを彼は徹底して自分の考えに従い、行動し、さらにその考えの根底まで
潜り込み、自分で自分に真っ直ぐな筋を通す。
通さずにはいられない。
お互いに不器用。
自分で自分に嘘をつくことが苦手な人間は、社会ではうまく生きれない。
嘘をついて生きていくことが何よりも苦しい。
基本、人間は社会で生きていかねばならない。
しかしそれさえにも疑問を持ち、
社会との距離を置き、考え、比べ、感じ、もがき、
社会と自分についての答えを導き出そうとしている。
社会だけでなく、他人と自分、友人と自分、生死と自分、人生と自分、
自分と関わる全てのことと自分とを考えた、今現在の答え。
今後も変わりゆく、答え。
太郎という人間。
太郎と自分との会話の記録。
出会って二回目の、ただの会話の記録。
思考の記録。
人間の記録。
人生の一部の記録。
記憶の記録。
多少酔っていたこともあり、映像に残しておかなければ、
何の話をしたかほとんど覚えていないと思う。
人生はそんなことばかりで、すごくもったいない。
楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだったこと、
悲しかったこと、寂しかったこと、悔しかったこと、
考えたこと、話したこと、遊んだこと、好きになったこと、
全て簡単に忘れてしまう。
本当なら人生の全てを残したい。
それか、ものすごい記憶力を持ちたい。
でもそれは不可能なので、なるべくこれからも残していこうと思う。
これは、ほんの一部。
ほんの三部。
音楽第九作。
「ストレンジ・マーチ」
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昨日は2時間かけて有楽町までいき、夜勤のバイト。
この一年間、都会から離れ、他人や社会と関わる機会が減り、
自分以外のことでほとんど苛々しなくなった。
しかし昨日、ほんのちょっとしたことで苛々してしまった。
乗り換えの渋谷駅で切符を買おうとしたが、
切符売り場の真ん前に、男女4人の若者が座りたまっていた。
たったそれだけのこと。
それだけのことが都会には渦巻いている。
久しく忘れていたこの感覚。
今の生活を始めた理由の一つに、「苛々するのに疲れた」というのがある。
本当に、日々苛々していた。
不満だらけだった。否定ばかりしていた。理不尽が我慢ならなかった。
そして、その苛々を吐き出す手段もなかった。
何をしても満たされない。苛々は積もっていくのみ。
それが今にも爆発しそうになったとき、
「せっかくの人生、苛々を我慢して生きていく必要はない」
と思い、都会を出た。
苛々は消えた。
都会に来た。
苛々が現れた。
恐らく都会にいる限り、この苛々は僕の中から消えない。
夏までにもう一度社会に挑もうと、最近思うようになってきたが、
昨日の渋谷を見て、やはりまだ早いという気持ちが強くなってきた。
朝の渋谷駅も夜の渋谷駅も、完全なる地獄絵図であった。
朝は、魂を抜かれ地獄の中をさまよう人間たちが。
夜は、自分が死んでいることにも気付かず、
地獄の中で浮かれ騒いでいる人間たちがいた。
渋谷が恐かった。
昔あんなに好きだった渋谷が、恐ろしくなっていた。
最近興味を持った会社は、いずれも都会のど真ん中だ。
つまり、もし社会に出ることになったとしても、
毎日地獄を味わわなければならないということ。
耐えられるだろうか。
苛々を溜め、容量を超え、また都会を離れることになるのが
想像できてしまう。
本当はまだ出たくない。
しかし30という年齢に、完全に僕はびびっている。
自分としてはそこまで気にしていないが、社会では29と30では天地の差がある。
29で許されることが30では許されなくなる。
29は無茶していいが30の無茶はなかなか認められない。
29では雇ってくれるが30では雇ってくれない。
そんなことばかりだ。
もし今自分が25だったら、確実に5年間都会から離れた生活をする。
少し遅すぎた。
でもこの歳にならないと、都会を28年、社会を6年間経験していないと、
自分には気付くことは出来なかったのだと思う。
残り三ヶ月をきった。
恐らくこのタイミングを逃したら、
当分の間、社会と距離の置いた生活が続くと思う。
むしろ、さらに離れていきそうな気もする。
ここが、ターニングポイント。
僕の30歳の誕生日は、全くめでたい日ではなく、
社会復帰への締切日である。
先月、確定申告の還付金が入り、少しお金に余裕ができたと思っていたら、
あっという間になくなっていた。
もはや金銭感覚障害に陥っていて、
全財産が10万とかで、余裕と思うようになってしまっている。
気が付けば5万。
今月の家賃が払えるだろうか。
今、2つの派遣会社にバイト登録しているが、
5月は本当に仕事がなく、働きたくても働けない日々が続いた。
これは本当にやばいと思い、先週、もう一つバイトに登録した。
今度は派遣会社ではなく、イベントの設営や運営をする会社。
スポーツやコンサートやライブ、展示会、野外イベントなど。
これも、基本は力仕事。
昨日初めて働いたが、なかなか大変だ。
大きな公園の芝生に、ひたすらテントを立ち上げる作業。
だが、これはこれでやりがいがある。
今までラジオ番組の公開収録やライブなどイベントに関わっていたものの、
そのイベント会場がどう作られているかなんて考えたこともなかった。
たった一つのテントを立ち上げるのにも、ひと苦労なのである。
そしてあんなにも多くの人間で、それを作り上げていたのだと。
今月は他にも、東京ドームや武道館での設営や撤去の仕事に入ることになった。
距離は遠いが時間は大いにあるので、さほど問題ではない。
この会社は、多少なりとも交通費の補助があり、お弁当も出たりする。
そして仕事が多いし、夜勤の作業に入れば、一日で一万円ほど貰えたりする。
一万はでかい。
いい響きだ、一万円。
しかし体中が痛い。
これから気温が上がり、よりハードになっていきそうだ。
本当は、別にやろうと決めていたバイトがあったが、
いざその現場を見に行ってみると、驚くほど想像とかけ離れ過ぎていて、
働くのをやめた。
予定は狂ってしまったが、予定は狂った方が面白かったりする。
このイベント設営の仕事も、きっと何かの役に立つ。
そして、何かに繋がりそうな気もしている。
その繋がる何かも、役に立つ何かも、
今想像しているものとは全く別のものになるかもしれないが、
予定も、想像も、計画も、未来も、将来も、期待も、予感も、希望も、
どんどん狂っていった方が、多分、人生は面白い。
さあ神よ、次はどう狂わせてくれよう。
一昨日、昨日と、家の中で頭を使って考えようとしたが
全くうまくいかず、うまくいかずというか、
考え出すまでにものすごく時間がかかってしまい、
結局ほとんど考えることのできないまま、
人生において全く意味のない二日間を過ごしてしまった。
できる限りの娯楽を排除しているはずなのに、
どうもこのパソコン1つあるだけで、
考えることから逃げてしまう。
ネットの海は、広く深い。
いったん陸を離れると、ついつい沖の方まで行ってしまい、
気付くと深くまで潜ってしまっている。
すると、なかなか帰ってこれない。
もはや自分で泳いでさえない。
ボロボロの船に乗って、ゆらりゆらりと波に流され動いているだけ。
そしてたまに船から落ちてしまうと、なかなか水面から上がってこれなくなる。
なので今日は、船に乗らず、電車に乗った。
本来は朝から一日中乗っているつもりだったが、起きたのが遅く、
15時半頃から約5時間半、ずっと電車に乗っていた。
電車とベッドの中が、一番頭が働く。
この2つは、他にする行動がないから、頭を使うことに集中できる。
ベッドの中の方がより高回転で頭が働くが、
何か思い付いたときに打込んだ携帯のメモは、
大抵次の日に見ると、よく分からない。
ちなみに最近、打込まれていた言葉は、
「信子。今日も愛しの信子ちゃんにいたずらしちゃおう。
テクテク。シャー。にやっ」
と、
「おおおおお。なんという。びりびりっ。かしなさい。はい紙だよ。
私破るの大好き!」
と、
「46音ゲーム」
であった。
そう考えると、電車の中の方が意識がはっきりしているので、都合がいい。
東京方面に行くと、どんどん人が増えていくので、逆の山梨方面の電車に乗った。
乗客はほぼいないし、座席が旅行席になっているので、
半分個室のような感じでとてもいい。
この2日間、ずっと家にいて1つも浮かばなかったことが、
この5時間半で19個も浮かんだ。
そして家に帰ってきて6時間ほどの時間が過ぎたが、この6時間、何もしていない。
電車はいい。
あと、終点の小淵沢の駅にあったこの画が良かった。
こういう画に勝ちたい。
また電車に乗ろう。
昨日は朝9時から夜9時まで、事務所の移転作業のバイト。
段ボールやデスクや棚をひたすら運ぶが、作業が予定通り進まず、
残れる人間のみ残業という形になり、大半の人間が9時で帰っていく中、
終電まで残り作業をした。
前日あまり寝ておらず疲れてはいたが、疲れなど次の日には忘れ去ってしまうので、
その瞬間のみ乗り越えればいい。
暑い季節がくる前に、なるべく多くの金を手にしておくことの方が重要。
椅子に座り足の痛みを癒しながら、1時間かけて終電で帰る。
1つ手前の駅まではどうにか起きていたが、
次に目を開けたときには、自分の駅の1つ先の駅に列車が到着していた。
1つ先といっても、ここは既に山梨県。
田舎で終電を寝過ごすという行為は、決してしてはならない。
もはや戻る電車はない。
歩いたらどれほどの距離なのだろうか。
思考のあまり働かない中、外に出てみると、4人の人間が道に並んでいる。
もしやと思い最後尾の女性に聞いてみると、そこはタクシー乗り場であった。
救われた。
しかし頑張って手にした残業代が、恐らく消え失せることになる。
何という失態だ。
タクシーがゆったりとしたペースで3台やって来るが、
その後、一向にやって来ない。
残された、男女二人。
だんだん体が冷えてきて、ポツポツと雨まで降り出してきた。
すると、女性が口を開く。
「ちょっと、遅すぎじゃないですか?」
二人は協力してタクシー会社に連絡するが、1つも繋がらない。
既に、深夜2時。
こんな時間に、田舎でタクシーに乗る人間はいないのだろう。
彼女に聞いてみると、自分の家まで歩いたとすると、恐らく1時間半。
彼女の家までは30分。
偶然にも帰る方向が同じで、もはやタクシーが来ないことを悟った二人は、
歩いて帰ることに決めた。
偶然が重なり、困難を共にして出会った二人が、
闇と雨の中、話しながら歩く30分の道のり。
二人が恋に落ちるのに、そう時間はかからなかった。
というようなシチュエーションの中、
一切そんなことにはならず、
名も知らない男女は、30分後、普通に別れた。
そこから約1時間、人など一切いない山に囲まれた暗い国道を一人歩く。
足の痛みと空腹と眠気と疲れと闇と雨と戦いながら、一人歩く。
そして眠りから覚め食パンを食べ終えた今、
足の痛みも空腹も眠気も疲れも闇も雨も、一切ない。
所詮こんなもの。
同じ面倒な事を継続してやるのはしんどいが、
一時で終わる面倒事は何てことはない。
人はこの一瞬の面倒事を、強く拒む。
自分も一年前まではそうだった。
今は強くなった。
もしくは慣れた。
この不便な生活をする中、逆に便利なことを拒むようになってきている。
終電を寝過ごしたことにプラスはなかったかもしれないが、
決してマイナスだとも思っていない。
よく考えると矛盾が生じるが、どちらかというと、
タクシー代がかからなかったことでほんの少しプラスに感じていたりもする。
いや、もっとよく考えると、何もなしに終わるはずだった日に
何かがあったというだけで、すごくプラスに感じることができる。
不便をマイナスだと思わない。
これが日常。
不便が日常。
そもそもこれを「不便」と思ってしまっていること自体が、本来ならおかしいのだ。
電車という乗り物はものすごく便利だし、
タクシーが3台きたということも、すごく便利なこと。
僕は基本、折り畳み傘を持ち歩いているので、雨にもあまり濡れていない。
これも便利。
途中、自動販売機でジュースを買えたこともそうだし、
もっといくと、靴や、家までの道があることでさえ便利に感じてくる。
人間はすごい。
すごいが故に恐ろしい。