終電を寝過ごす

 

昨日は朝9時から夜9時まで、事務所の移転作業のバイト。

段ボールやデスクや棚をひたすら運ぶが、作業が予定通り進まず、
残れる人間のみ残業という形になり、大半の人間が9時で帰っていく中、
終電まで残り作業をした。

前日あまり寝ておらず疲れてはいたが、疲れなど次の日には忘れ去ってしまうので、
その瞬間のみ乗り越えればいい。
暑い季節がくる前に、なるべく多くの金を手にしておくことの方が重要。
椅子に座り足の痛みを癒しながら、1時間かけて終電で帰る。

1つ手前の駅まではどうにか起きていたが、
次に目を開けたときには、自分の駅の1つ先の駅に列車が到着していた。

1つ先といっても、ここは既に山梨県。
田舎で終電を寝過ごすという行為は、決してしてはならない。
もはや戻る電車はない。
歩いたらどれほどの距離なのだろうか。
思考のあまり働かない中、外に出てみると、4人の人間が道に並んでいる。
もしやと思い最後尾の女性に聞いてみると、そこはタクシー乗り場であった。
救われた。
しかし頑張って手にした残業代が、恐らく消え失せることになる。
何という失態だ。

タクシーがゆったりとしたペースで3台やって来るが、
その後、一向にやって来ない。
残された、男女二人。

だんだん体が冷えてきて、ポツポツと雨まで降り出してきた。
すると、女性が口を開く。

「ちょっと、遅すぎじゃないですか?」

二人は協力してタクシー会社に連絡するが、1つも繋がらない。
既に、深夜2時。
こんな時間に、田舎でタクシーに乗る人間はいないのだろう。
彼女に聞いてみると、自分の家まで歩いたとすると、恐らく1時間半。
彼女の家までは30分。
偶然にも帰る方向が同じで、もはやタクシーが来ないことを悟った二人は、
歩いて帰ることに決めた。

偶然が重なり、困難を共にして出会った二人が、
闇と雨の中、話しながら歩く30分の道のり。

二人が恋に落ちるのに、そう時間はかからなかった。

 

というようなシチュエーションの中、
一切そんなことにはならず、
名も知らない男女は、30分後、普通に別れた。

そこから約1時間、人など一切いない山に囲まれた暗い国道を一人歩く。

足の痛みと空腹と眠気と疲れと闇と雨と戦いながら、一人歩く。

そして眠りから覚め食パンを食べ終えた今、
足の痛みも空腹も眠気も疲れも闇も雨も、一切ない。

所詮こんなもの。
同じ面倒な事を継続してやるのはしんどいが、
一時で終わる面倒事は何てことはない。

人はこの一瞬の面倒事を、強く拒む。
自分も一年前まではそうだった。
今は強くなった。
もしくは慣れた。
この不便な生活をする中、逆に便利なことを拒むようになってきている。

終電を寝過ごしたことにプラスはなかったかもしれないが、
決してマイナスだとも思っていない。
よく考えると矛盾が生じるが、どちらかというと、
タクシー代がかからなかったことでほんの少しプラスに感じていたりもする。
いや、もっとよく考えると、何もなしに終わるはずだった日に
何かがあったというだけで、すごくプラスに感じることができる。

不便をマイナスだと思わない。
これが日常。
不便が日常。
そもそもこれを「不便」と思ってしまっていること自体が、本来ならおかしいのだ。

電車という乗り物はものすごく便利だし、
タクシーが3台きたということも、すごく便利なこと。
僕は基本、折り畳み傘を持ち歩いているので、雨にもあまり濡れていない。
これも便利。
途中、自動販売機でジュースを買えたこともそうだし、
もっといくと、靴や、家までの道があることでさえ便利に感じてくる。

人間はすごい。

 

 

すごいが故に恐ろしい。

 

 

 

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