苛々について

 

昨日は2時間かけて有楽町までいき、夜勤のバイト。

この一年間、都会から離れ、他人や社会と関わる機会が減り、
自分以外のことでほとんど苛々しなくなった。
しかし昨日、ほんのちょっとしたことで苛々してしまった。

乗り換えの渋谷駅で切符を買おうとしたが、
切符売り場の真ん前に、男女4人の若者が座りたまっていた。
たったそれだけのこと。

それだけのことが都会には渦巻いている。
久しく忘れていたこの感覚。

 

今の生活を始めた理由の一つに、「苛々するのに疲れた」というのがある。

本当に、日々苛々していた。
不満だらけだった。否定ばかりしていた。理不尽が我慢ならなかった。
そして、その苛々を吐き出す手段もなかった。
何をしても満たされない。苛々は積もっていくのみ。

それが今にも爆発しそうになったとき、
「せっかくの人生、苛々を我慢して生きていく必要はない」
と思い、都会を出た。

苛々は消えた。

都会に来た。

苛々が現れた。

恐らく都会にいる限り、この苛々は僕の中から消えない。

 

夏までにもう一度社会に挑もうと、最近思うようになってきたが、
昨日の渋谷を見て、やはりまだ早いという気持ちが強くなってきた。

朝の渋谷駅も夜の渋谷駅も、完全なる地獄絵図であった。

 

朝は、魂を抜かれ地獄の中をさまよう人間たちが。

夜は、自分が死んでいることにも気付かず、
地獄の中で浮かれ騒いでいる人間たちがいた。

渋谷が恐かった。
昔あんなに好きだった渋谷が、恐ろしくなっていた。

 

最近興味を持った会社は、いずれも都会のど真ん中だ。
つまり、もし社会に出ることになったとしても、
毎日地獄を味わわなければならないということ。

耐えられるだろうか。

苛々を溜め、容量を超え、また都会を離れることになるのが
想像できてしまう。

 

本当はまだ出たくない。
しかし30という年齢に、完全に僕はびびっている。

自分としてはそこまで気にしていないが、社会では29と30では天地の差がある。
29で許されることが30では許されなくなる。
29は無茶していいが30の無茶はなかなか認められない。
29では雇ってくれるが30では雇ってくれない。

そんなことばかりだ。

 

もし今自分が25だったら、確実に5年間都会から離れた生活をする。
少し遅すぎた。

でもこの歳にならないと、都会を28年、社会を6年間経験していないと、
自分には気付くことは出来なかったのだと思う。

 

残り三ヶ月をきった。

 

恐らくこのタイミングを逃したら、
当分の間、社会と距離の置いた生活が続くと思う。

むしろ、さらに離れていきそうな気もする。

ここが、ターニングポイント。

 

僕の30歳の誕生日は、全くめでたい日ではなく、
社会復帰への締切日である。

 

 

 

 

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