2014

 

振り返りたくないけど振り返る。

 

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いくつか抜けてるかもだが、大体こんな感じ。
恐らく3分の1か4分の1くらいは東京にいなかったように思う。

2014年が始まって少し経ち、これからの怒濤が目に見えたとき、
今年は考えるのをやめようと決めた。

自分のことは考えずこのでかい波に飲まれ流され流れてみたとき、
自分は何を想うのか、何かを感じ、何かが分かるのか知りたかった。

少し立ち止まり自分のことを考えそうになっても、
無理矢理押さえ込み、ひたすら考えないを続けた。

 

そして、2014年が終わる。
今年は本当に考えなかった。
考えろと答えを迫られても、考えなかった。
何のこだわりかは分からない。
でも考えないことできっと何かが見える気がしていて、その考えないが終わる今日、
考えなかったことで何が見えているか考えてみるが、
何も考えてこなかったため、今、何もない。

唯一分かったことといえば、
考えずに生きていくのはよくない。自分には向いてない。
ということだろうか。
この一年、日本のいろんなところに行き、たくさんの人間と触れ合い、
多くのことをしたはずだが、
何も考えていなかったから、ほぼ何も残っていない。

 

日に日に記憶力がなくなっていく。
これはこの現代社会のせいで全ての人間の記憶力がなくなっているかと思っていたが、どうやら違うらしい。
自分だけらしい。
昨日、一昨日のことはもちろん、もはや数分前のことすら覚えていなくなっている。
何かをしようと動くが、すぐに何をしに動いたか忘れる。
持っていたものをいったんどこかに置き別のことをしようものならば、
そこから1人で大探索が始まる。
誰かとした会話、誰かと触れ合ったこと、誰かにしてもらったこと、誰かとしたこと、こんなにもかというくらい覚えていない。

数年後が本当に恐ろしい。
どうなってしまうんだろう。
原因は何だろう。
過去に興味がなさ過ぎるのか。
今を生き過ぎているのか。
周りが見えていないのか。
単純にものすごい早さで老いているのか。
分からないけれど、
とにかく数年後の自分には記憶というものがほとんどないんだろうなと思う。
少し寂しい。
もしかしたら他の人間とずれてしまっているところは、ここなのかもしれない。
例えば、今の自分は「楽しい」ということにほとんど興味がない。
でも一般的に人は、楽しさを求める。
それは、「楽しい」を覚えていられるからなのかもしれない。
僕は楽しいことがあっても、その楽しさなんて一瞬ですぐ忘れてしまうからという理由で、「楽しさ」を求めなくなった。
人はその「楽しさ」をずっと覚えていられるんじゃないだろうか。
それならばすごい納得がいく。
僕は次の日には忘れてしまう。
この違いなのかもしれない。
ということは、
もし自分にもっと記憶力があれば、もっと楽に、普通に、楽しく生きてこれたのかもしれない。

よかった、記憶力がなくて。

楽で、普通で、楽しく生きてこれなくて。

 

さて、もっと普通に生きていけなくなるにはどうしたらよいだろうか。
2015年。
まず、いっぱい考える。
来年はとことん考える。
考える事で、一年を長くする。
考え、そして行動に出る。
来年中に一つ大きく動く。

 

今年、全国各地に仕事で行き、
というかもう気付けば完全に「仕事」になっていた。
研修をし、物件を捜し、人を集め、人と知り合い、店を作り、OPEN準備をし、
宣伝し、OPENさせ、新たな店をつくり、中身を話し合い、中身を考え、準備をし、
作り、研修し、OPENし、それを全国各地で繰り返し、2014年は終わった。
5店舗ぐらいだったお店が、全国で17店舗に増えた。
まだ、全くもって社会は変わらない。
もし47店舗になれば、社会は少しは変わるのだろうか。

 

とにかく各地をまわり、いろんな土地を知った。
しかし、自分にしっくりくる土地は一つもなかった。
藤野に初めて訪れたときのあの感じは一つもなかった。
最近また、どこかに行きたくなる。
全く違う環境で、全く違う場所で生きていきたい気持ちにふとなる。
多分いつか僕は海外に住むんだと思う。
まずは日本を全部知り、自分にしっくりくる土地があればそこに、
一つもなく日本じゃないと分かれば見切りをつけ海外に。
今はその下準備期間。
なんかそんな気がしている。

 

2014年。
彼との距離は近づいた。
この会社を訪れほぼ一年が経つ日、
僕は早朝の福岡の土地で、変な空気の中、彼と二人で山笠を見ていた。
それから何度か、共通のことを共通の場で考えた。
でもまだ多人数。
二人でなければ意味がない。
そして同等でなければ意味がない。
0からの始まりでなければ意味がない。
まだ彼1と多数の図式。
ある程度決まったものを詰めていく作業。
ここまでくるのも一年かかるのか。
もう少し近いと思っていたがなかなかに遠い。

 

今年も駆け抜けた。
この会社に来てからはずっと駆け抜けている。
他の仕事に比べたら、割と仕事とはかけ離れているはずだけど、
それでも自分にとってはやはり仕事で、
もっと仕事じゃなく仕事をしたいなと思ったりもする。

 

 

と、立ち止まって考えてみると、
いろいろと考えられる。
来年への予行練習。
考えるのは疲れるけど、疲れない人生で楽して死にたくないので、
考えることから逃げない。
疲れることから逃げない。
面倒くさいは、人類最大の敵なのだ。

ものすごい疲れて、大爆笑しながら大の字で死ぬのだ。

もしくは全てをやり切ってガッツポーズでもしながら、宇宙に飛び込んで死ぬのだ。

 

 

でももし、
やりたいことを作りたいものだけを同じ志の人間と笑い転げながら作り生み出し続け、社会がざわめきどよめきガラッと変わり自分にとって生きやすい社会になったら、
考えなくても、記憶力がなくても、疲れなくても、楽しくても、
いい気持ちで生きられるようになるのかなあ。

 

 

 

 

 

2013

 

気付けば
2013年12月31日。

 

9月に藤野から渋谷、田舎から都会に引っ越してからの4ヶ月は、
人生で最も早い4か月だった。

まさに駆け抜けた。

日々を振り返る余裕もなく、
何かを作るでもなく、
いろいろなことを考える余裕もなく、
真っ直ぐと目の前にある道を駆け抜けていった。

 

時間はたっぷりあった。
心にも余裕があったし、
金銭的にも、以前に比べたらほんの少しだけど落ち着いた。

それでもこの都会という場所は、
ものすごいスピードで一日を終わらせる。

この4ヶ月は、このスピードについていくので精一杯だった。

しかし、日々をただ単にこなしていった訳ではない。
この4ヶ月は、社会と自分を擦り合わせるのに必要な時間。
SCRAPという会社を知る時間、吸収する時間、自分に浸透させる時間、
自分を浸透させる時間として、必要不可欠な時間。

だいぶ社会にも慣れてきた。
社会といっても、7月からこの会社でボランティアスタッフを始め、
11月から30歳にして正式にアルバイトとなり、
というかこの会社は社会という輪の中でも、ものすごい端っこの、
社会だか社会じゃないか微妙だけどギリギリで社会の輪の中に入れてもらえたような
何だかそんな空気のあるところなので、ここを社会と言っていいのか分からないし、
そもそもアルバイトだし、といったところもあるのだが、
それでも社会的には完全に社会な場所であるので、
ようやく、社会に一歩足を踏み入れたというようなところまでは戻ってきた。

でも、自分の中では戻ってきたという感覚はなく、
新たな社会に足を踏み入れた気持ちの方が強く、
30歳ながら20歳のような心の状態で日々を生きている。

 

そして来年から、また少し状況が変わろうとしている。

10月の終わり、
この会社のとある人物から「アルバイトにならないか」と誘いを受けたとき、
僕は返事に迷った。

埋もれたくなかったから。

もちろんこの仕事は単純に楽しいし、アルバイトになればちゃんとした時給で給料を貰えるし、そのぶん力仕事も減らせて、いい事もたくさんあるのだが、
一度アルバイトになってしまったら、このままずっとアルバイトのままなんじゃないかという不安がよぎり、それだったら自由に動けるボランティアスタッフのまま切り込んでいくスタンスの方が日々戦っていけるんじゃないかという気持ちもあり、
その旨をそのまま伝え、返事を少し待ってもらおうとしたところ、
新たな道を提示された。

理由を聞いても、
「暇そうだから」「フラフラしてるから」「雰囲気」としか返ってこなかったが、
それでも最後に聞いた「誰でも誘うわけではない」という言葉で、大体を理解した。

そもそもこの日まで、この方とほとんど会話をしたこともなかったけれど、
多分、初めて会ったあの瞬間、ろくに会話もせずふざけたやり取りだけで終わった
あの瞬間に、大体の事は分かり合えていたような気がする。

 

人生で数回しかないけれど、僕は会った瞬間に、
「この人とはすごい仲良くなれる」「長い付き合いになる」と分かることがあって、
この会社に関わるようになってからのたった半年で、それが2回もあった。

その2回が、両方ともこの会社の人間だったことは
自分の中で全く驚きはなく、
やっぱり間違ってなかったんだと、
自分の選んだ道の正しさへの再確認となった。

 

そして来年、これの3回目があると、信じて疑っていない自分がいる。

この会社で、まだ会ってない人間が一人いる。
実際、顔は何度か合わせているが、自分の中ではまだ会っていない。
というか、会わないようにしている。
自分でもよく分からないが、その3回目を意識し過ぎてか、
今じゃない今じゃないと、ここぞというタイミングを見計らい過ぎて、
意識的に、半分無意識に、避けてしまっているのだ。

でも意識するのは当然で、
この人がいなければ、今の自分はここにいない。
この人がいるから、ここにきた。
この人と共に作り、共に戦うために、自分は動き出したのだ。

一度、社会に見切りをつけた自分にとっての、最後の希望。

意識して当然。

そして3回目になって当然。

そう信じ切ってしまっているのだ。

 

 

さて、
この半年戦えなかった分は、来年戦う。

早くステージに上がりたい。

早く作りたい。

早く吐き出したい。

早く生み出したい。

作らなければ、生み出さなければ、戦わなければ、
ここに来た意味はない。

 

 

とんでもない2014年になりますように。

自分以外は平和でいいけど、自分には平和は訪れませんように。

たくさん戦えますように。

落ち着きませんように。

たくさん笑えますように。

 

 

お、たくさん笑えますように
という言葉が出てきた。

 

楽しさとも戦えてるということだ。

 

少し大人に。
少し人間に戻れた。

 

2013年。

 

 

さらば!

 

 

15年前の彼女

 

今から15年前。
高校に入学したての5月。
学校のすぐ側に、ある女子校があった。
その女子校とは最寄り駅が同じで、
毎日、そこの女子生徒たちと顔を合わせていた。

とある日の学校帰り、僕はできたばかりの友人たちと原宿を練り歩いていた。
すると、見慣れた制服の女子たちが目に入る。
「あー、○○校じゃん。いえーい。どうもどうも。」
そんな風にふざけて声をかけながら、僕らはその女子たちとすれ違う。

その日、友人たちと何をしたかは覚えていないが、
というか当時は特に目的もないまま
街へ繰り出してはダラダラと日々を過ごしていたので、
その日も恐らく特に何もしないまま夜になり、
僕らは駅のホームへと向かっていった。

そこに、さっきすれ違った女子たちのうちの一人が、
ポツンと立っているのを見つける。
確か、僕らは7人ぐらいだっただろうか。
男は、自分たちが多勢だと、調子に乗る。
みるみるうちにその女子を囲み込み、多方向から攻め立てる。
聴くところによると、その子は、僕らより一つ年上だった。

僕のその子への第一印象は、
「かわいい」でも「きれい」でも「ときめいた」でも何でもなく、
「すげえなこいつ」、だった。

電車内で7人の男に囲まれながらも、全く物怖じせず、
「何だよおめーら、うるせえなぁ」的な感じで鼻で笑いながら、
僕らを子供扱いするかのように対処していくその姿は今でも忘れられない。

僕は、たった一瞬でこの人間にものすごい興味を持ち、
気付くと僕らは、あっという間に付き合うことになっていた。

 

そしてあっという間に一ヶ月で別れを告げられ、
僕らはあっという間に恋人ではなくなった。

 

それから15年。

僕らは仲良しという訳ではないが、ごくたまに連絡を取り合ったり、
ごくごくたまに会ったりもしながら、何だかんだで15年関係を続けている。

 

もしもあの日、僕らの帰る時間が3分遅かったら
原宿であの道を通らなかったら
駅のホームに逆の階段から上っていたら
人と人との出会いなんてほとんどが偶然だけれど、
それでもその「もし」があったら、その「もし」がなかったら、
この15年は、0だった。

 

とかそんなことを思い返しながら、
逗子に住む、15年前の彼女の写真を撮りにいってきた。

 

 

彼女はいつまで経っても年上で、
いつまで経っても追いつけない。

あれから15年。

 

僕は、彼女のことを一度たりとも追い越したことはない。

他の人にはいつか追いつける気もするけど、
彼女にだけは一生追いつけない。

ずっと前にいて、ずっと上。

 

でも、お互い30を超え、久々に会って話をしてみたら、
何だかちょっとだけ同じようなことを考えていたりして、
少し嬉しかった。

 

 

 

http://takizawa-yu.weblike.jp/contents/?p=4425

 

 

 

 

あゆみ

 

あゆみが30歳になった。

 

もう5年は会っていない。

今、彼女が何をしているのか、
どこにいるのか、
そして誰といるのか、
僕は何も知らない。

 

8年ほど前に別れ、
そこから会ったのはたった一度。

結婚をしてるかもしれないし、
子供もいるかもしれないし、
独身かもしれないし、
日本にいないかもしれない。

誰よりも知っていた人を、
今は誰よりも知らない。

 

別れてから、何度も後悔したし、
人生で一番苦しんだし、
半分引きこもりみたいになったし、
ずっとずっと忘れられなかった。

 

たった一度だけ連絡がきたとき、
僕は涙を流した。

それから5年、僕は一度も泣いていない。

 

そして僕は今、恋愛を卒業した。

 

自分は恋愛には向いていない。
誰も幸せにできる自信がない。
付き合うということには意味がない。
自分以外の人のことを考える余裕がない。
恋愛は疲れる。苦しい。難しい。面倒くさい。
全ての面において、恋愛をする余裕が全くない。
恋愛よりも大事なことがある。
あゆみよりも愛することのできる人はもういない。

そんな考えに至るようになり、
「この子、いいかも」と思ってしまうことがあっても、
無理矢理自分を押さえ込むようになった。

最近になり、ようやく彼女のことも考えないようになった。

 

でも、誕生日だったり、ふとしたときに思い出してしまう。

今、何をしてるんだろう。

何を思っているんだろう。

 

多分、彼女の中に、僕はもういない。

でも僕の中の彼女は、いつまで経っても消えない。

 

いや、消す必要もない。

 

そもそも別れって何だ。

付き合うから、別れがある。
ならば付き合わなければいい。

僕は彼女と付き合わなければ良かったのか?
そうすれば、今でも彼女との関係は続いていたのだろうか。

 

人間は、付き合い、別れを繰り返す。

一番近くにいた人が、一番遠い人になる。
一番知っていた人が、一番知らない人になる。
一番好きだった人を、一番嫌いになったりもする。

 

付き合うな。

付き合うとは、負のループだ。

 

人を愛しすぎるな。

愛した分だけ、苦しみがでかくなる。

 

現状、こんな考えに至ってしまっている。

果たしてこの考えは正しいのだろうか。

何だか書いてて、自分が可哀想な人間に思えてきたりもする。

 

結婚した皆さん、おめでとう。

結婚できるほどの相手と巡り会えたことは、本当に素晴らしいと思います。

 

あゆみも、もし結婚しているならおめでとう。

でももしかして、本当にその事実を知ったとき、
僕は久しぶりに涙を流すかもしれません。

何の涙かは、分からないけど。

 

そんなことより30歳おめでとう。

 

今、僕が知っている事実は、
昨日、あゆみが誕生日を迎えたことだけです。

 

俺は元気です。

 

元気に生きてます。

 

 

 

一週間

 

お引っ越しから一週間が経とうとしている。

恐ろしく早い。

 

通勤時間が超短縮でき時間が増えたはずなのに、
以前よりも時の経過が早く感じる。

これが都会のスピードか。

 

このスピードに飲まれたら負けだ。
また過去の自分に戻ってしまう。

しかし都会に生きる以上、時は無視できない。
このスピードについていこうとすると置いていかれる。

ならばこのスピードを追い抜けばいい。

ダラダラしている暇はない。
ダラダラする気もない。

駆け抜けるのだ。

目をつぶってではなく、目を見開いて駆け抜ける。
一歩一歩、実感しながら駆け抜ける。
転ぼうと、事故に遭おうと、死ななければいい。

全速力。

 

ギリギリの生活でどうのこうのというのはもう飽きたので、
お金を貯めたい。
そして余裕が欲しい。
そこの面で神経を使っていると、他になかなか身が入らない。
今は日々バイトをしている。
家から徒歩3分のとこと新宿。
空いた日は、日雇いをぶち込む。
余裕ができたら、また何か始めようかとも思っている。
まだ何も考えてはいないけど。
ただ金のためだけにやっている日雇いの時間を、もっと有意義な時間に。

せっかく動きやすい場所にいるし、
今は何をやってもいいのだ。

今はというか、人生は何をやってもいいのだ。

まずは金。

 

そして部屋を片付けよう。

 

そしてユニットバスが全くうまく使いこなせない。

 

 

乗り越える壁はたくさん。

 

 

人生第三部

 

9月13日。

ようやく引っ越せた。

安定のないものが引っ越しをすることが、こんなにも大変だとは思わなかった。

候補だった代々木八幡の物件は他者にとられ、
代官山の物件はよくよく調べると女性限定というオチであり、
その後もいろいろ見たがピンとこず、もう一生山かと思いかけたとき、
念のため少し家賃を上げて探してみたところ、渋谷で見つかった。

家賃が高い分、初期費用が割と安くすむ。
しかしこの家賃を払い続けられるのだろうか。
ガッツガツに働いていたラジオ時代より高い家賃。

しかし場所が思いっきり渋谷というのにどうにも惹かれる気持ちが抑えきれず、
内見時も割としっくりきてしまい、ここに決めた。

ギリギリまで働いたが結局足りず、親に借金もした。
自分の力だけで引っ越せないことが悔しいが、そんなことも言ってられなかった。
このまま山に居続けても何もない。早く次にいかねばならない。

 

この一年半、本当にたくさんのことを考えた。

人生のこと。自分が何者なのかということ。生きるということ。死ぬということ。
社会について。システム。ルール。常識。他人。金。人と人。仕事。都会。田舎。
人間。動物。虫。食事。遊び。楽しさ。好きなもの。嫌いなもの。
必要なもの。要らないもの。全て。

いろんなものに、必死に自分なりの答えを出した。

そして今、その全てをリセットしようと思う。

 

過去の自分には縛られない。考えなんてあっという間に変わることも分かった。
考えに考えた挙げ句、それを一気にぶち壊す。

それがもう、たまらない。

何か物語を作るときも、
せっかく積み上げてきたものを最後に台無しにしてしまうような、
そういったものに物凄く興奮をおぼえる。

 

たくさんぶち壊して、たくさん積み上げて、たくさん0から始めたい。
人生で、あと何回ぶち壊せるか。
これでひとまず、2回目のぶち壊し。

ただ、これはただの0ではない。新0。
進化して、深化して、新化した、0。

 

欲望渦巻くこの渋谷という都会のど真ん中で、どう立ち向かっていくか。
欲望、都会、社会、金、システム、仕事、
遊び、エンターテイメント、POP。
今まで逃げていたものにぶつかっていくのだ。

戦うこと、作ることは絶対にやめない。
そして、より生きる。
今まで以上に、何でもあり。

もう逃げない。

ここからは、第三の人生。

 

人生第一部、社会激動編。

 

人生第二部、社会離脱編。

 

そして、本日より人生第三部、

 

 

社会復帰編。

 

 

 

 

スタート。

 

 

パラダイス

 

ようやく魂が戻ってきた。

あの日、魂が一度、0になった。
8/24(土)、渋谷Roots。
太郎さんとライブペイント。

何を描くか。

 

描く道具や色、中身など、具体的なことは決めなかった。
決めたのはテーマが「戦い」ということと、
お互いが紙の両端から描いていくということのみ。

「戦い」というテーマは、前に何を吐き出そうか話したときに、
お互いに共通してあったもの。

自分との戦い。
社会との戦い。
都会との戦い。
人生との戦い。
太郎との戦い。
画との戦い。
常識との戦い。
他人との戦い。
時間との戦い。
ルールとの戦い。
システムとの戦い。
敵との戦い。
日本との戦い。
世界との戦い。
宇宙との戦い。
戦いとの戦い。
いろんな戦いがあるが、気持ちがグルグルしている今、
当日になるまで自分が何との戦いを吐き出すのか分からなかった。

迎えた当日、
僕はバイトの人と飲みにいってしまい、割とご機嫌になってしまっていた。

果たして、これで戦えるのか。

 

0時半頃、ライブペイント、スタート。

画材は、持ちうる全て。
割とふわふわした気持ちで描き始める。

太郎さんが上から、自分が下から攻めてゆくことになった。
戦闘体勢に入らぬままどうにか戦う気持ちを沸き立たせようとするが、
なかなかスイッチが入らない。

しばらくもがきながら描いていると、
上から物凄い勢いで「戦い」が迫ってきていることに気付く。

 

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自然とスイッチが入る。

 

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そこからはパラダイス。

二人は筆を捨て、素手で描き始める。
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流れる音楽も気持ちを高め、踊り描き、叩き描き、
両手にクレヨンを持ち叩き割り描き、目をつぶり感覚で描き殴り、

気付くと二人の画は真ん中でぶつかり合い、完成していた。
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わずか2時間。
描き終わった後の30分、完全に魂が喪失していた。しかしまだ2時間ある。
紙もある。

二人は、二枚目を貼り出す。

次は少し「POP」なものを描くことにする。

「POP」は最近の自分のテーマでもある。

魂が抜けた中、「描いていい?」と言って、
何人かの友人たちが描き始める。
それにプラスしていく形でPOPに描き始める。
再び太郎氏が上から、自分が下から。

 

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1時間後、太郎氏が眠りにつく。

残り、1時間。
画は空白だらけ。

焦る。

無理矢理、スイッチを入れる。

が、POPのスイッチがどこにあるのかよく分からず、
とにかく「完成させなければ」という気持ちで描く。
今思えば、この気持ちこそが「POP」。

ということで、
POPじゃないスイッチも入れながら、無理矢理POPな画を完成。

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二枚の画にタイトルは付けていないが、
テーマでいうと、「戦い」と「POP」。
あわせて、「パラダイス」といった感じである。

 

皆の反応は、「え…」という感じのものであったが、
二人の顔だけはやけに満たされていた。
「戦い」を描いているときのあの感覚は、滅多に味わえない。
魂を生々しく吐き出しているあの感じ。
もっとあの感覚を味わいたい。
二週間に一度、あの感覚を味わえたら、
それはきっといい人生だ。

 

でもそれだけの感覚も、数日経った今、
既にぼんやりしてきてしまっている。
画としては残せたが、あの感覚を残せないのがすごく惜しい。
次は映像を撮っておこう。

 

記憶を頭の中で録画できたら、どんなに素晴らしいことか。
生きているうちは無理かな。
多分、2・300年後。
いいな、2・300年後の人間たち。

没頭し、あまり後ろを見なかったので、
皆が見ていたのか、もしくは誰も見ていなかったのかは分からない。
でも画を描いているあの二人の空間は、間違いなくパラダイスであった。

 

ユニット名を「パラダイス」にしないかと、
太郎さんに提案してみよう。

終わり、二人で朝食を食べる。
魂の抜け切った二人の間に、びっくりするほど会話はなかった。

 

そこから、10回ほど電車で寝過ごし、
5・6時間かけて、家に帰る。

 

また描きたい。

 

画以外でも、あの感覚を味わえないかな。

 

味わいたい。
味わおう。

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4日連続渋谷

 

5日連続渋谷から、1日挟んで、4日連続渋谷。

 

8/21(水)
渋谷でバイト。
みんな記憶力がすごくある。
自分が時間をかけて覚えたことも、他人は簡単に覚えてしまう。
現代人の記憶力は衰えてきていると思っていたが、
衰えているのは自分だけだったのかもしれない。
こうして書いておかないと、すぐに日々のことも忘れてしまう。
この日のことも、4日経っただけで既にあまり覚えていない。

 

8/22(木)
渋谷で家探し。
内見したが、あまりピンとこず。

夜、ベッドに入ると、足がモゾモゾしたので見てみたら、
大きめのムカデが足を這っていた。
慌ててムカデを払い電気をつけるが見失う。
お腹がモゾモゾしたので、もしやと思いTシャツをめくると、
すごい勢いでムカデがお腹を這い上がってきていた。

何年ぶりだろう。
下手したら10年以上、いや人生で初めてかもしれない。
僕は、心の底から叫んだ。

人は本当に恐ろしい体験をしたとき、
すぐに叫ぶのではなく、まず行動して、そして叫ぶということを知った。
僕はお腹のムカデを認識したとき、まず手で払い除け、
その後、恐怖を吐き出すように叫んでいた。

でもこれは、ムカデなりの後押しなんだと思う。
グダグダしてないで、早く都会に引っ越せと。
お前はもうここにいるなと。
体を張って教えてくれた。

ありがとう。

 

8/23(金)
渋谷でバイトの前に、
ムカデの後押しを受け、家を申し込みにいく。
しかし、第一候補だった場所が、
もしかしたら既に埋まってしまったかもという話を聞く。
この日、確認は取れず。

結構、意志を固めていただけに、なかなかのショック。
また一から探し直しか、もしくは代官山に決めてしまうか。
もたもたしていたら、こっちも埋まってしまいそうだ。

 

8/24(土)
渋谷でバイト。
その後、時間が少しあったので、バイト先の人と軽く飲みにいく。
お店で人と飲むという行為は、すごく久しぶり。
接する度に、話を聞く度に、この会社はいい会社なんだと感じる。
やはり本当にいいものというのは、チームの仲が良くなければ、きっと生まれない。
いがみ合っていたり、信頼関係のないチームからは、決して生まれない。

このバイト先には、元SOL!リスナーだった人が何人かいて、
飲みに行った2人のうちの1人も、元リスナー。
しかも、結構番組のイベントとかも遊びにきてくれていて、
何度か会ったこともあった。
そんな人と同じ場所で働き、一緒に飲みにいくという、不思議な感覚。
だけど、その訳分かんない感じがすごく面白い。
何でもあり。

その後、渋谷Rootsにて、ライブペイント。

これは、また別で書こう。

 

 

5日連続渋谷

にゆく。

 

8/15
渋谷にてバイト。

8/16
バイトの原宿店舗のにバイト先の人と遊びにゆく。
やはり楽しい。
よくできている。
ザッツエンターテイメン。
アンケートの年齢に「30」と書くのを、少し戸惑う。

その後、渋谷にゆき食料と酒を買い、
とある貸し切りパーティールームにて友人の結婚祝い。
仲の良い5人で、カラオケトランプ地獄。
カラオケは全く好きではないけど、このメンツなら何をしても楽しい。
トランプは好きなので、いつしても楽しい。
遊び話し戦い歌い踊り飲み食いの怒濤の7時間。とても楽しき一日。
次の日は午前からバイトのため、ネットカフェに宿泊。

8/17
渋谷にてバイト。
年齢を聞かれ、「30」と答えることに少し戸惑う。

8/18
渋谷にてバイト。
再び年齢を聞かれ、「30」と答えることにまた戸惑う。

8/19
渋谷で家さがし。
住むべき土地や家というのは、大体その場所に行けば、一目で分かる。
体がしっくりくる。

とある場所で、しっくりきた。
初めて行く地域だが、まず土地にしっくりきて、
部屋に入ると、またさらにしっくりきてしまった。
洗濯機や自転車の置き場がなく不便だが、
不便さには、今の生活で十分慣れたはずだ。
クローゼットも洗濯物を干す場所もない。
さらに天井が斜めになっていて、屋根裏みたいな部屋なのだが、
その違和感がまた自分へのしっくり度を増す。
家賃がネック。
ただ、渋谷駅にも原宿駅にも自転車で10分もあればゆける。
新宿駅にも20分あれば多分自転車でゆける。
つまり今まで往復1200円ほどかけていたバイト先の3店舗に、
全て金をかけずに行けてしまう。
これは導かれているような気も。

もう一つ、気になる部屋があり、こちらは代官山付近。
渋谷駅にも徒歩10分くらい。
無難に住むならこっち。
洗濯機も置けるし、大きめのクローゼットもあり、自転車も置ける。
さらにバルコニーもあって、洗濯物も干せる。
ただ代官山という土地にどうもしっくりきていない。
そして部屋も何だか普通に良くて、
不便さや違和感のないことが、逆に物足りない。
でも、「代官山に住む」という響きは、少し面白い。
ただ「天井が斜め」とか、「山だらけのところ」とか、そういう面白さが足りない。
何故か僕は、住む場所に面白さを求めている。

多分、常に興奮していたいのだと思う。
生活する中で、「うおー俺は今、山に囲まれて生きている~~」とか、
「天井斜めで屋根裏みたいなとこに住んでる~~」とか、
常にそんな変な興奮状態の中で生きていたいのだと思う。

 

ということで、多分、前者に住むような気がしている。
家賃は全く同じ。
どうか、自分が後者を選びませんように。

念のため、もう少しだけ探す。
そして引っ越し資金のため必死こいて働く。

急げ急げ。

 

 

 

30

 

30になった。

 

30というのは、ただ単にきりがいいだけで、
周りからの見方は確実に変わってくるけれど、
自分的にはそんなに意識はしていなくて、
しかしいざなってみると、なかなかズシンとくる響きだ。

 

子供のころ想像していた30とは、もうびっくりするほど違うが、
想像通りが嫌いな自分としては、これほど想像と違うことにすごく興奮もしている。

他人の想像通りには絶対なりたくないし、
自分の想像すら裏切っていきたい。

しかしまさか無職で迎えるとは、全くもって考えていなかった。

 

すげえだろ?子供の頃の自分よ。

 

 

そして30の自分よ。

お前の想像すら40の自分はきっと裏切っているはずだ。

 

しかし今は40の自分が全く想像できない。

想像できないものを裏切っていくのは、なかなか大変だが、
どうにかとんでもない人生になっていくように、生きていこうと思う。

 

無難にだけは絶対に生きない。

無難に生きれば生きるだけ、死ぬときの後悔はでかくなる。

 

死ぬまでに、後悔の全てをなくして死ぬ。
全て出し切って、全てを満たし切って、超笑顔で死ぬ。
戦い切って、「もう戦えません、俺はよく戦った」と言って超疲れて死ぬ。

 

という、死ぬときの理想というか想像はできるけど、
それすら死ぬ直前の自分には裏切って欲しいと思う。

 

と、もう何だかよく分かんなくなってきたけど、
とにかく、引き続き生きていきます。

今まで積み上げてきた30年をぶん投げて、
また0から生きるぐらいな感じで生きていきます。

落ち着かず、逃げず、物凄い勢いで。

 

 

第二の人生はもうすぐ終わり。

 

そろそろ、第三の人生。

 

 

 

別におめでたいとは全く思ってないし、
この30年に全く満足はしてないけれど、
それでもまあ、一応、
おめでとう。

 

今までの後悔は、これから埋めていこう。

 
これからもよろしく。