鳥のさえずりが360度にわたって、響いている。
それ以外は何の音もしない。
車の通る音も、人の話し声も、人の足音も。
これは嘘でも夢でも何でもなく、完全なる現実。
自分で考え、自分で選び、自分の足でやってきた、現実。
ここに至るまでの過程はそんなに覚えていない。
気付けばここを選び、気付けば東京での仕事、東京での暮らしを辞め、
気付けばここにいた。
ここにいる。
アートという名の運び屋が運んできた荷物をある程度整え、朝を迎えた。
今想うと「アート」という業者を選んでいたのも、必然だったのかもしれない。
いや、「アート」とか「芸術」という言葉は、正直、あんまりどうでもいい。
アートをやりにきた訳ではない。
ただ、作りたい。
この世に残すべく、「作品」を作りたいんだと思う。
いや、「作品」という言葉が正しいのかは分からないけれど、
多分、その言葉が一番近い気がする。
僕は、作品病だ。
28年間生きてきた。
今、この28年を振り返ってみると、自分は、常に作品を作りたい欲に渦巻かれて
生きてきていたように思えてくる。
友達と遊んでいるときも、仕事中も、食事中も、飲みの席でも、会議中も、歩いているときも、部屋にいるときも、電話中も、メール中も、電車の中も、自転車の上でも、寝ているときも。
常に何かを作ろうとしていた。
これは、病気だ。
その病がパンパンに膨れ上がり、ついに、限界を超えた。
そして、ここに来た。
病人として。
病人は社会ではなかなかうまく生きていけないようだ。
病人が病気を治すためにここに来た。
いや、治すのではない。
最も病人が発病していけるところに来た。
ここなら、いくら発病しても大丈夫。
そんな場所。
藤野には完全に導かれた。
これは導かれた以外の何でもないと思う。
だから、迷いは一切ない。
仕事もないし
お金もない。
だが、不思議と迷いは一切ない。
病気だから。
僕は、ワクワク病だ。
人生で今が一番ワクワクしている。
人生を半分に分けたとすると、多分ここが折り返し地点。
今日までの人生と、今日からの人生。
当然、今日からの人生に軍配は上がるわけだ。
軍配を上がらせるためには、
とことんまでにやり込まなきゃだめだ。
1分1秒も無駄にしない。
今までの8倍生きる。
残して残して残しまくる。
僕は、残しまくり病だ。
しかし、悔いだけは残さない。
残る気がしない。
残さず食べきる。
いただきます。
さあ、生きよう。