落ち込みたい

駄目だ。

意欲がわかない。

書いても書いてもうまくいかないことは想像していたが、
書く意欲がわかないということは想像していなかった。

何のために書くのか。
どういった形で書くのか。
何を書くのか。

中でも、もっとも大切なことは、 何のために書くのか。
今、ここで考えてみよう。

 

でた。

 

生きるため。

お金に繋げるという意味ももちろんあるが、
その、書いている瞬間、完成した瞬間、人の反応を見て、聞いて、感じた瞬間。
そして、それらにおいて想像を超えた瞬間。
その瞬間にこそ、生を感じる。

もはや、それでしか生きられないはずなのに、 生きようとしていない自分がいる。

ただただ時間が過ぎていく。

 

画は簡単だ。
画なんて描いたことは全くなかったけれど、
何も考えずとも、描けてしまう。
下手くそなのは、誰よりも自分が分かっている。
立体感も出せない、光と影も表せない、情景も描写できない。

当然だ。そんなもの習ったこともないし、 描こうと思ったこともないから。
でも、全く技術がなくとも、画は誰でも描ける。
評価されようと、されまいと。
小学生でさえ、幼稚園生にだって描ける。

 

そう考えると、文章も同じではないだろうか。
どんな下手くそな文章でも、それは文章だ。
小学生にだって、幼稚園生にだって書ける。

ならば、自分にも書ける。

そうだ。
1つ忘れていたことを思い出した。

 

「考えない」こと。

僕は、この世で一番面白いもの、刺激的なものは、
「即興から生まれたもの」だと信じている。

どんなに練り込んだものよりも、
どんなに自分を追い込んで書いたり作ったりしたものよりも、
「即興」ほど刺激的なものはない。

何故か。

即興からは、奇跡が生まれる。
人は、奇跡に興奮する。

-代打逆転サヨナラ満塁ホームラン-
-偶然の一致-
-運命の出会い-
-予言の的中-

興奮。

そうだ。考えては駄目だ。
何も考えず…いや、その瞬間、
キーボードを打ち込もうとするその一瞬前に考えたことを、そのまま打ち込む。
そうしてできた文章。
僕は、それを「即興文」と呼んでいた。 6年前。

ほとんど書いたことなどなかったのに、
自分の一番の特技は、「即興文」だと思い込んでいた。

当時、一瞬、就活をしていたとき、
「特技」の欄に、「即興文を書くこと」と、よく記入したものだ。

 

9割方、書類審査で落とされた。

自分が人事だったら、そんなやつ、即内定だ。

そんなことを、ようやく思い出した。
今でも、自分の特技は、それなのかとも思う。

1つやることが見えた。

即興文なら、目的がなくていい。文章力もなくていい。内容も考えなくていい。
ただただ、手の動くまま文字を打ち込むだけ。

ただそれだけだが、そこから奇跡は生まれる。

 

そして今日は、画を描いた。
このサイトの背景に使えるようなものを、ただただ描いた。

「このサイトの背景っぽく」ということだけを考えて。
目的がなくとも、画を描くならば手は進むが、 目的があると、一瞬で描けた。

 


『日常の混沌からくる背景』

 


『脳内のざわめきからくる背景』

 

果たしてこの画は、背景に使われるのだろうか。

 

画を描くのが楽しいのは、
画を描くのが簡単なのは、
画を描いたことがなかったからかもしれない。

まるで、子供が初めての遊びを知ったような感覚。

 

本当の画描きは、簡単には画は描けない。
本当の物書きは、簡単には文章は書けない。

きっとそうなのであろう。

 

だが、自分は違う。

 

簡単にやってみせる。

 

そして、

 

時には、悩む。

 

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