太郎

 

彼とは、去年の年末、12月30日のトイレで出会った。

 

おせち作りの日雇い派遣バイト先の、トイレ。

 

隣で小便をしていた彼は、
衛生上の理由で手を消毒しないとドアが開かないことを知らず、
ドアの前に立ち尽くしていたので教えてあげると、
「なるほど」と言った感じで颯爽と出ていくが、
トイレのサンダルのまま出ていってしまったのでそれも教えてあげたところ、
仲良くなった。

 

その日は時間的に大して話せたわけではないが、
それでも異常なほど思想というか精神に、自分と近いものを感じていた。

派遣から見出せた、もう一つの意味。

 

太郎がやって来た。

 

 

 

お互い、人と遊ぶことにほとんど楽しさというものを求めなくなっているので、
楽しい楽しくないではなく、意味があるかないかとも少し違い、
心というか魂みたいなのが動いたか動いてないか的なことが重要な気がしていて、
一昨日はそんな日であった。

彼と会ったのは、これが二回目。

 

思い付きで買った食材を思い付きで作った液体の入った鍋に入れ食し、
最近苦手であった酒を体に入れたところすんなりと入ってゆきなかなか調子はよく、
中途半端なまま止まっていた画の続きを共に描き完成させ、
2時間にもわたる太郎インタビューを映像に残し、
共に考えた「人殺しゲーム」という画期的な遊びをトランプで生み出し戦い、
階段で今年3匹目のムカデと出会い、
多くの無言の時間も過ごし、
少々の眠りから覚めると、
彼は元の生活へと帰っていった。

 

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画は、右下が主に太郎さん担当部分。

 

 

「フキの塔」

「フキの塔」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人殺しゲーム」は、
共に考え、交互に意見を出し合って生み出せたことに興奮した。

自分には、即興でその場でゲームや遊びを考え出す才能があると思っていて、
今回、同じレベルで人と共に生み出したということに、少々の悔しさもありつつ、
異常な嬉しさも感じた。

たかがトランプのゲームだが、これを出来る人がなかなかいない。

本当に他人と半々で生み出せたのは、初めてかもしれない。

そもそも、これをやろうとする人がめったにいない。

 

 

そして映像。

これは編集に時間がかかるのと、
そもそもまともに編集できるソフトを持っていないので、
いずれ形にしようかと。

これは、ほんの一部。

 

 

 

画質の粗さは謎。

 

やはり他人は他人で、共通する部分も多かったが、
自分が最近考えが少しずつ変わってきたのもありつつ、
共感しにくいところもあったりしたのだけど、
それでも何というか、根底はものすごく近い。

 

話していく中で太郎くんも同じことを言っていたが、
人は変わるもの。

変わるから面白い。

 

だからこそ今の自分の考えを、今の自分を残しておくことが重要な気がしていて、
残さなければ変わったことすら忘れてしまうし、自覚することすらできない。

人間の記憶力は、恐ろしいほど退化している。

今は、記憶ではなく、記録する時代。

 

これも5年後には、全く逆のことを言っているかもしれない。

それでもいい。

 

過去の自分はいつだって恥ずかしいし、
今の自分も、未来の自分は恥じるかもしれない。

でも恥じるということは、自分が変わっていっている証拠でもあるので、
本当は恥ずべきことではない。

 

しかしずっと変えたくないものもある。

歳をとるごとに人は、悪い意味で大人になってしまう。

当然、大人なんだから大人にならなければいけないのも分かってはいるが、
全部が全部、大人にならなくてもいいはず。

皆、無駄に全部が大人になっていっているよ。

 

といった考えも、いずれ変わるのかも。

 

 

 

しかし、
一昨日、太郎くんがやって来たことは変わらない。

 

そして、ここに残したので忘れることもない。

 

 

 

一昨日、太郎がやって来た。

 

 

 

 

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