いるものいらないもの

 

 

皆にとっていらないものは僕にとっているものとなり、

僕にとっていらないものは皆にとっているものとなる。

 

 

 

先週、mac bookを譲ってくれた友人の引っ越しを手伝いにいった。

譲ってくれたお礼のはずが、今回も、
使わなくなった椅子とスリッパ立てとお盆とシャンプーなどをいただいてしまった。

 

そして先週、
プリンターを譲ってくれた別の友人から赤飯が大量に届いた。
どうやら仕事の撮影で使い、その役目を終えたもののようだ。

 

 

赤飯もパソコンも椅子も、彼らにとって完全に「いらないもの」ではない。

使わなくなったパソコンや椅子は売れるし、赤飯も食べられる。
それを、優しさから譲ってもらったもの。

しかしそれは彼らにとって、完全に「いるもの」でもない。
要は、「なくても問題のないもの」、又は「そんなにいらないもの」だ。

 

パソコンも椅子も新しく彼が使っているものがあり、
赤飯よりも美味しい食べ物を彼が食べられているということ。

 

しかしそれらは、僕にとって完全に「いるもの」となる。

 

僕の使っていたWindowsのPCはほぼ壊れ、椅子も完全に破壊し、
食べ物に関しては、もはや空腹が満たされれば何でもいい。

今は、「何を」とか「美味しいものを」などではなく、
「食べる」ということが何よりも先決なのだ。

 

生きなければならない。

 

生きて今月を乗り切らなければならない。

 

最近は、一日二食が赤飯だ。

 

 

 

29年間、赤飯を美味いと思ったことは一度もない。

むしろ嫌いな部類に入る。

 

しかし、この赤飯が美味いのだ。

 

赤飯が素晴らしく美味い。

 

 

もはや口の感覚がおかしくなっているのかもしれないが、
赤飯ですごく満たされている自分がいる。

赤飯は、なにかすごく詰まっている。

重さがあり、甘さがあり、しょっぱさがあり、満たされる。

 

 

おかずはいらない。

 

赤飯のみで、食事が成り立つ。

 

 

一方で、
テレビ、美容室、外食店、恋愛、恋人、大金、スマホ、Suica、PASMO、など、
僕にとって「いらないもの」は、大抵の人にとって「いるもの」となる。

酒も、いらないものとなりつつある。

 

 

赤飯という、僕にとって「完全にいるもの」をくれたお礼に、
彼にとって「いらないもの」であろう、一流カードを送った。

 

300枚のコンプリートセットだ。

 

彼は、僕以外に初めて、300枚の一流カードを手にした男となった。

 

 

 

再び、一流カード熱が高まってきた。

 

一流カードをこのまま死なさない。

 

これを機に蘇らせよう。

 

 

 

そして一流カードを、いつか、皆にとって「いるもの」とさせる。

 

 

 

 

そしてそれは、一流カードだけではない。

 

 

 

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