今日は、畑山さんが家に来てくれた。
畑山さんは、Tシャツ屋をやったときの手作り市で知り合った女性の方。
映像や写真や物作り、音楽までやっていて、とても多才な方。
しかし、少し変わった方。
自分の寂しさや苦しさ悲しさを、 そういった作品にぶつけて
現実から逃げているという方。
彼女はもう、作品には逃げないらしい。
全く無関係の仕事をして、逃げるらしい。
果たして逃げ切れるのだろうか。
そんな彼女が、映像を撮ってくれた。
彼女の最後になるかもしれないという映像。
どうやら彼女は勘違いをしていたようだ。
僕は、画描きではない。
僕が画を描き始めたのは、ほんの2ヵ月前。
彼女は、画描きが画を描くところを撮りたかったようだ。
いや違った。 僕は画描きだった。
2ヵ月前から、画描きであって、漫画家であって、Tシャツ屋であって、デザイナーであって、 詩人であって、エッセイストであって、作家であって、全てだ。
そんな画描きが画を描くところを、彼女が撮ってくれた。
人に見られながら描くことなどないのに、
人に見られつつ撮られつつ、画を描いた。
彼女が挙げたテーマは、「山に来た自分」。
僕は、鳥にしがみついていた。
僕には、顔がなかった。
代わりに、
鳥の頭から何かが噴き出ていたように、
僕の首からも、何かが噴き出していた。
僕は、6本の輪っかに縛られていた。
鳥は、都会を口から吐き出していた。
そして僕は、
山にいなかった。
