台湾に来て早くも3年が過ぎた。
もう3年か。
気づけば台湾の南部、高雄に住んでいる。
非常に居心地が良い。
居心地が良すぎて、時間がゆるゆると過ぎていってしまう。
夏は暑いし、夏は長いが、台北に比べ雨は随分少ないし、湿気も少ない。
基本的にいつも晴れているので、心が自然と明るくなる。
この歳になって新しい人間と会うことが増え、しかもそのほぼ全てが台湾人。
良い出会いもたくさんあった。
今後も長々と関係が続いていきそう人や、毎週のように遊ぶ人も。
日本にいるときだと考えられない。
仲が良くても数ヶ月に1回遊ぶぐらいだったが、
一週間に2回も3回も一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだり。
遠出してみんなで音楽イベントにいったり、旅行に行ったりも。
それでも全然苦ではなく、むしろ1週間以上会ってないと会いたくなってくる大切な人間たち。
今まで日本人相手に、男女の関係以外でそんなこと思ったことがなかった。
とはいえ基本日本語通じないので、ノリで会話していることが多いが、
それでも日本人より分かり合えてる気がする。
自分は日本を出て本当に良かったんだと思う。
ただ居心地の良さから、ギラギラした気持ちがだんだんと薄れてきてしまっている。
このまま楽しく好きな場所で好きな人たちと生きていけたら幸せなのかな。
という甘えが心を侵食してきている。
飲まれてはいけない。
歳も歳。
あと数年が恐らく最後の勝負。
この年の切り替えを機に、少しずつ変えていかねばならない。
毎年そう。
今年こそは今年こそはで始まる1年。
来年こそはで終わる1年。
どこかで止めなければならない。
それが今年なのか、来年なのか、3年後なのか、もしくはないのか。
ないはダメだ。
死ぬ瞬間を考えたときに、このままだとまだ全然ダメだ。
きっかけを待ち続けたが、きっかけは現れない。
自分できっかけを作らねば。
ただそのきっかけが分からないから、今年は種をいっぱいばら撒こうと思う。
何がきっかけになるか分からない。
なるべく今までやらなかったことをやる。やったこともどんどんやる。
時間があるときは家にいないようにする。
家は悪魔だ。
前のめりに前のめりに。
いや、前屈みぐらいがちょうどいいかな。
常に前屈みで、何かあれば自然と足が前に出るような。
今年のテーマは「前屈み」と「種」。
2025年。おじいちゃんが死んだ。
99歳だ。
自分の2倍以上も生きている。
ということは自分の人生もまだ2倍以上あるかもしれないということだ。
ここまでの人生色んなことがあって頑張って生きてきたが、
これの倍の人生があるのか。しかも老いながら。
そのことを考えると、若干の絶望と困惑と急がねばという気持ちになる。
この2倍、何をして生きよう。
日本にいるときに思っていた死ぬ前に達成したい2つのこと。
「台湾に住む」、1つは達成。
もう1つもとっとと動かねばという気持ちと、まだまだ全然無理だという気持ちでなかなかまだまだ。
じゃあもっと達成することを増やさねば。
一度忘れかけていたが、やはり「残す」ということはしなければ。
でもその他が意外とない。
刺激はほしいが、マイナスの刺激はいらない。
基本、コミュニケーションが取りづらいという小さな刺激があるので、
今はそこまで求めていない。
あった。「金」だ。
おじいちゃんがいつも言っていた言葉。
「お金は本当に大切」。
そろそろ向き合わねば。
まあとにかく種を蒔こう。
その種が実らなくてもいい。とにかくたくさんたくさん蒔こう。
時間を無駄にせず。使った時間は無駄に思わず。
ソファーになるべく座らず。家にいず。
なるべく早く寝て、なるべく早く起きる。
そうだ。
今年は20年ぶりぐらいに心が落ちたときがあった。
自分はこんなにも心がないのかと。
意図的に心をなくしてきたけど、こんなことになってしまっているのかと。
台湾に来て、少しずつ心が広がってきた気がしていたが、まだまだだった。
心を広げるのは大変だし疲れるししたくないけど、台湾なら日本に比べたらマイナスに感情が働くことも少ないと思うし、少しずつ広げていこうかな。
とはいえ、心が落ちたということは、20年ぶりに感情が動いたということでもあるので、もしかしたら少しは変わってきてるのかな。
プラスの感情ももっと動いていったらいいな。
嘘のない感情。
気負うと良くないので、少しずつ少しずつ。
じじいになる前に、遅すぎず、速すぎず、時間の短縮。前に屈んで。
さあ、もう3時だ。寝よう。
また来年。